岐阜市中心部を焼け野原にした1945年の岐阜空襲から78年となった9日、岐阜市役所1階の市民交流スペース「ミンナト」で平和の鐘式典が開かれた。平和への祈りを込めた鐘の音を聴き、空襲体験者や中学生らが非戦への決意を新たにした。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」式典は1990年から市が主催。柴橋正直市長や市仏教会の松久宗心会長、岐阜中央中学校(岐阜市京町)の1年生3人をはじめ12人が出席した。
「岐阜空襲を記録する会」の篠崎喜樹代表(88)が空襲2カ月後に撮影された焼け野原の写真を示し、焼夷(しょうい)弾による惨禍を説明。中島裕子さん(61)は「悲惨さを次世代に伝えることが戦争の抑止力になる」と訴え、今なお戦火にさらされるウクライナからの「手を差し伸べてくれてありがとう」という、支援活動に対する感謝のメッセージを伝えた。
8歳のころ、同市加納本町で空襲を経験した松尾美津子さん(86)が、家族8人の腕を縄でつないで逃げ奇跡的に全員が助かったものの、自宅も父が営む傘問屋も全て焼失、戦後も食糧難に苦しんだことを証言。「ウクライナの様子を見ると当時を思い出しつらい。一日も早く戦争が終わること、二度とこの国で戦争が起こらないことを心から願う」と語り掛けた。
4階「みどりの丘」にある平和の鐘は、荒天のため自動打鐘で鳴らした。出席者全員で黙とうをささげ、柴橋市長が「平和は勝手に与えられるものではなく、戦後一貫して平和を追求してきた先輩たちのおかげ。未来永劫(えいごう)、わが国は戦争をしないと固く誓うことが、今日という日を毎年、世代を超えて共有する意味」と式辞を述べた。
岐阜中央中学校の3人が平和への誓いとして「自分と周りの命を大切にし、平和を思う気持ちを忘れず、平和な社会を築くため互いに尊重する」と力強く宣言した。
姉妹都市のイタリア・フィレンツェ市など国外5都市でも鐘が鳴らされたほか、岐阜市内の寺院が鐘を開放した。
岐阜空襲では45年7月9日午後11時ごろから翌日午前1時ごろまで米軍B29爆撃機による爆撃を受け、市街地の約8割が焼失、約900人が亡くなった。














