岐阜空襲の体験を話す澤木長俊さん=岐阜市司町、みんなの森ぎふメディアコスモス

 戦争を知り平和について考える「戦争体験を語り継ぐ夕べ」が、岐阜市司町のみんなの森ぎふメディアコスモスで開かれ、1945年7月の岐阜空襲を体験した市内在住の2人が戦時の学校生活を織り交ぜて戦争の記憶を語った。

 体験者のうち岐阜新聞社元専務の澤木長俊さん(90)は当時、旧制岐阜中学2年。東海道線への攻撃に備えた仮設橋の関連工事の動員先で、東の方角に立ち上る黒煙を見た。各務原空襲だった。「川崎航空機がやられたぞっ」の声に衝撃を受けたという。

 続く岐阜空襲では、一夜明けて忠節町の自宅に戻る際、焼夷(しょうい)弾で焼けた人たちが長良川堤に重なり合うように横たわる様子を目の当たりに。「生き地獄を見た気持ち」になったという。市街地は一面の焼け野原で、「荒れ果てたわが郷土の姿は本当に惨めだった」と振り返った。

 国民学校5年だった加藤喜子さん(86)は、自宅が建物疎開で壊され、疎開先の鏡島で空襲に遭った。「ヒューヒュー、ザザザーッという音に生きた心地がしなかった」。隣家の同級生は焼夷弾の直撃で亡くなり、「今でも思い出すと胸が締め付けられる」と悲しみ、「戦争はもう絶対にしてはいけない」と訴えた。

 同市のボランティア団体「おもと会」主催で5回目。約50人が聞き入った。