岐阜市北西部にある岐阜大病院や岐阜薬科大の西側です。岐阜大の移転に伴い一部の地名が1976年に変わったため、伊自良川沿いに飛び地があります。

 「黒野史誌」には、人がまばらに住んでいたので始めは「間人(まびと)」といい、次に耕地が開かれ人々が移り住んだことから「益戸(ますと)」となり、家々が広がって「交人」になったとする由来を紹介しています。また、日本神話に登場する女神の石凝姥命(いしこりどめ)の子孫の六人部(むとべ)がこの地に住んだことから「六人(むしと)」が「交人」に転じたとする説もあるようです。

 県内には飛騨南部に益田(ました)地域(旧益田郡)がありますが、「川や谷が複雑に交わる所」を意味する「まし(交)」と「と(処)」が変化して「ました」になったともされています。読み方が似ている「交人」は伊自良川や鳥羽川が蛇行する地域ですので、同様の由来なのかもしれません。

 

【答え】ましと