「野宿してる人を見たことはあったけど、まさか自分が野宿することになるなんて」。兵庫県出身の河下毅正さん(43)=仮名=は10月、JR名古屋駅の近くで1カ月ほど路上生活を送った。初めて段ボールを敷いて横になったアスファルトは、思ったよりも冷たく感じた。「金持ってるからええよな」「自分だってバリバリ働けるのに」。目の前を行き交うスーツ姿の同世代や若者たちがまぶしく、恨めしく見えた。
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河下さんには軽度知的障害がある。地元の養護学校(当時)を卒業後、学校やハローワークの紹介を受け製造業などで働いたが、いずれも長続きしなかった。リーマン・ショックが重なり安定した職を得るのがより難しくなる中で、働かないことをとがめる父親と衝突し、家を出た。「障害があっても働けることを証明したかった」。知的障害者に交付される療育手帳を持っていることを隠し、関西圏で日雇いの仕事をするようになった。気がつくと、安定とはほど遠い暮らしが常態化していた。
名古屋に来たのは、スマートフォンで探す限り「日雇いの仕事が多かった」から。しかし、現実は厳しい。毎日仕事を紹介してもらえるわけではなく、相変わらず収入は不安定だった。寮付きの職場を転々としたが、半年ほどであてがなくなった。インターネットカフェに連泊しているうちに貯金が尽き、ついに住まいは路上の段ボールになっていた。
11月、耐えかねて名古屋高速道路高架下の炊き出しを訪ねた。温かい食事を食べながらNPO法人「ささしまサポートセンター」(名古屋市)の職員に自分の境遇を語り、付き添いを受けて生活保護を申請した。ほどなく受給も始まり、連絡先を交換していた記者に電話をしてきて「ここでなら生きていけるかもしれん」と言った。
しかし、ここから河下さんは不可解な行動をとる。記者だけでなく、NPOからの連絡にも一切、応答しなくなった。借りたばかりのアパートは、いつ訪ねてももぬけの殻。NPOは部屋に置き手紙をするなど手を尽くしたが、所在をつかめなくなった。つい1カ月前には「障害があっても働ける」と話し、生活保護の受給決定を喜んでいた河下さん。生活を立て直すチャンスをつかんだのに、すぐに手放した。どのような事情があるかは分からないが、NPOのメンバーは「こういったケースは他にもある」と話す。
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「障害福祉サービスを利用して生活できるはずの人が、どうして炊き出しの行列に並んでいるのかと思うことはある」。同法人が運営する障害者グループホームに勤める社会福祉士の松原賢さん(43)が打ち明ける。高架下の人に声をかけると、そもそも意思疎通が困難だったり、河下さんのように計画性が乏しく生活を律することが不得意だったりする人に出会うことが少なくない。ここにある問題は、貧困だけではない。
岐阜市では統計上、路上生活者が「0人」とされているが、道の駅には認知症とみられる家族と車上生活を続ける人がいた。狭い車内にぎっしりと詰まった日用品の隙間で寝ることをいとわない人もいた。「路上にテントを張って暮らすホームレスが減っただけ。場所を移して見えづらくなっている人が、実際には相当数いるはず」と松原さん。「高架下にいると、福祉の課題も見えてくるんです」と困窮者支援の難しさを語る。
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