長嶋茂雄さんという日本野球界至宝の逝去に、岐阜県内野球関係者からも悼む声が相次いだ。

長嶋さんが立教大時代の1957年。夏の岐阜大会前に、高校野球の名門県岐阜商(当時岐阜商)をコーチに訪れ、当時1年生だった高木守道(元中日)さんを見出した話は有名だ。
高木さんの資質を見抜き、当時の野球部長の中野鍵一さんに2番での起用を進言し、1年から二塁手のレギュラーで夏の大会に出場した。高木さんは甲子園でも2番を打ち、ベスト8に貢献。3年時の1959年選抜で主将として準優勝に輝いた。
今は亡き高木さんに当時の思い出を聞いたことがあるが、「何をアドバイス受けたか、覚えていないが、プレーのすごさは脳裏に焼き付いている」と語っていた。
◆隣の岐阜北高校まで飛んでいった?
長嶋さんの来校の目的はエースで前年春夏連続準優勝、3年の夏、岐阜県史上唯一のノーヒットノーランを達成した清沢忠彦さん(87)を立教大に勧誘することだったという。...