卒業生の思い出も

 京町小に根付いた「まず健康」のフレーズは、いつごろからあったのか。1973年発刊の京町小創立100周年記念誌「京町小百年」には、ますが勤務したころの京町小に通っていた1937年度卒業生の一人が、「先(ま)づ健康の想い出」と題して寄稿している。

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今も校内に掲げる「まず健康」のスローガン=同

 寄稿には「懐かしい母校の想い出、それは『先づ健康』という、四文字の標識です」とある。この卒業生は小学生のころ、校舎に掲げられた標識を仰いで通学した日々を懐かしみ、「『先づ健康』は今も昔も変らない」とつづる。後にPTA会長を務め、他の卒業生から多くの寄付を集めて標識を復元し、同校に設置したといい「当時の在校生が『先づ健康』の標識にいかに強い印象を持ち、今でも愛着を持っているかと思い、感激した」としている。今から85年前には存在していたこの標語や標識にますがどう関わったか詳しくは分からないが、児童の健康づくりに奔走したますの献身的な働きが大きな支えだったことは想像に難くない。

児童愛に燃えたます

 病死する6年前の1929年、ますが雑誌「養護」に寄せた文章が残っている。ますは京町小での仕事を謙虚に振り返りながら、まだ世の中になかった専任の学校看護婦という業務について「何となく仕事をすると言ったように誤解して、極端に非難攻撃を浴びせかけたり、思わぬ中傷をされる方もあったようで(中略)相当に苦痛な思いをした」と日々の苦悩を明かしている。それでもますは強い信念を持ち、「常に彼(か)の家康公の 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす を信条として、学校衛生の一般に普及する日を待って居りました」と言い表した。

 一方で、子どもたちが親しみと信頼を持って相談に来る姿に「私は一層児童愛に燃え立ち仕事に追われた」「児童のためなら一命をささげても苦しくはない」とまなざしの温かさをのぞかせている。

 児童への愛に満ち、衛生の普及に力を尽くした広瀬ます。志半ばで病に倒れたが、身を尽くした働きによって示した「まず健康」の精神は、日本独自の発展を遂げた後進の養護教諭たちの手により、今も子どもたちの心身の健康を支え続けている。