学校でけがや病気の子どもの応急処置をしたり、保健教育を担ったりする「保健室の先生」。最近では、学校になじめない子を支える役割も大きく、2020年以降は新型コロナウイルスという未知のウイルスとの戦いにおいても、学校衛生の中心として存在感を発揮している。かつて岐阜市の京町小学校で、広瀬ます(1883~1935年)が活躍した「学校看護婦」の時代から、「養護教諭」という教職へと変化を遂げた現代、その日常は多忙を極める。ますに詳しい岐阜聖徳学園大学(岐阜市)看護学部の西田倫子教授は「今こそ広瀬ますの精神に立ち返るべき」と訴える。

凍傷の手当てをする広瀬ます=1928年、岐阜市の京町小学校

 西田教授が感銘を受けたというますの仕事がある。それは「愛の救急車」だ。当時は今のように呼べばすぐ救急車が来る時代ではない。けがをしたり急病になったりした子どもを、安静に素早く家や病院へ運ぶ方法はないかと考えたますは、私費で一台の乳母車を購入する。首をかしげる周囲をよそに、ますは荷台を改造して布団を敷き、そこに発熱した子どもらを乗せて自宅や病院に運んだ。後に「愛の救急車」と呼ばれるこの乳母車を押して、懸命に子どもたちを運ぶますの姿に、人々は強く心を打たれた。ますの亡き後も同校で大切に保管されていたが、1945年の空襲で焼失した。西田教授は「子どもを乗せて、岐阜のまちを必死に走るますの姿がありありと思い浮かぶ。子どもを思う気持ちがパワーになるのは、今の養護教諭も同じ」と話す。

金八先生と養護教諭

 養護教諭として校長を務めた経験を持つ西田教授。これまで多くの後輩や養護教諭を志す学生たちを支えてきた。「昔、テレビドラマの『3年B組 金八先生』で、倍賞美津子さんが子どもと深く関わる養護教諭を演じていて、まさに広瀬ますのようで印象的だった。倍賞さんのように、学校で必死に働く養護教諭の姿を見て、憧れを抱いた子どもたちがまた養護教諭を志し、今も大学には県内外から学生がやってくる」と語る。

学生に向けて話す西田倫子教授=岐阜市の岐阜聖徳学園大

 西田教授は「いつの時代も、目の前の子どもをいとおしみ、自分に何ができるのかを必死に考えることが養護教諭の力になる。広瀬ますの精神は、脈々と次の世代に受け継がれてきた」と目を細める。未知のコロナ禍に立ち向かう現代の養護教諭の姿は、同じく病気の予防や衛生の普及に向けて奔走したますの働きと通じるものがあるだけに、「子どもたちのために、これからも頑張ってほしい」とエールを送る。