脳の成長を妨げる仕組みを解き明かす手がかりに

2025/12/3
京都薬科大学

 京都薬科大学(京都市山科区、学長:赤路健一)の石原慶一 准教授(病態生化学分野)、原田考輝 大学院生(シナジーラボ)ならびに高田和幸 教授(シナジーラボ)らの研究グループは、山梨大学、山王バースセンター、札幌医科大学およびシンガポールのA*STAR他と共同研究を実施しました。この研究では、ダウン症モデルマウスから作製した胚性幹(ES)細胞や、ダウン症の方から作製した人工多能性幹(iPS)細胞を用いて、脳の免疫を担う脳マクロファージの前段階となる細胞「原始マクロファージ」の分化に障害がある可能性を初めて示しました。

 

 石原准教授や高田教授らの研究グループは、これまでに脳の正常な発達に重要な役割を果たす脳マクロファージが、ダウン症モデルマウス胎仔の脳では少なくなっていることを発見していました。今回の研究では、数が減っているのは脳マクロファージの中でも「ミクログリア」と呼ばれる細胞であること、さらにこの異常は、より前の段階である「原始マクロファージ」の発生に問題があることを突き止めました。

 

 この成果は、ダウン症における脳発達の遅れの仕組みを解き明かす新たな手がかりとなり、新しい治療法の考案において重要な知見となることが期待されます。

 

 本研究成果は、国際的な科学雑誌 「Immunology」のオンライン版に、11月27日付で掲載されました。

 

 

【背景と経緯】

 ダウン症は、通常2本ある21番染色体が3本になることで発症する染色体異常症で、ほとんどの方に知的障害が見られることが知られています。この知的障害の背景には、胎児期における脳の発達の遅れが関係していると考えられていますがその詳しい仕組みはまだ解明されていません。これまで研究チームは、ダウン症モデルマウス(Ts1Cjeマウス)の胎仔脳で、ダウン症胎児と同様に神経の発生が低下していること*1、また一方では、脳の免疫細胞である脳マクロファージの数が減っていることを報告してきました*2。しかし、なぜ脳マクロファージの数が少なくなるのかは不明でした。

 そこで今回、幹細胞から「原始マクロファージ」を分化誘導する方法*3を用いてTs1CjeマウスのES細胞やダウン症の方から作製したiPS細胞から、脳マクロファージの前段階である「原始マクロファージ」へ分化させる実験を行いました。

 

*1Ishihara et al., Cereb Cortex 2010 May;20(5):1131-43.

*2Ishiahra, Takata, Guinhox et al., Brain Pathol. 2020 Jan;30(1):75-91

*3Takata, Guinhox et al., Immunity 2017 Jul 18;47(1):183-198.

 

【研究成果】

 脳マクロファージは、代表的な脳の免疫細胞である「ミクログリア」のほか、髄膜マクロファージや血管周囲マクロファージといった脳の境界に存在するマクロファージも含んでいます。研究グループはこれまで、Ts1Cjeマウスの胎仔脳で、脳マクロファージの数が通常のマウスより少ないことを発見していましたが、どの種類の細胞が減っているかは不明でした。そこで今回、Ts1Cjeマウスの胎仔脳を詳細に調べた結果、脳マクロファージの中のミクログリアが減少していることが分かりました。そこで、ミクログリアの前段階である「原始マクロファージ」への分化異常について、Ts1CjeマウスからES細胞を樹立し、原始マクロファージへの分化過程を調べました。

 その結果、正常マウス由来のES細胞に比べてTs1Cjeマウス由来のES細胞から分化した原始マクロファージは、その数が非常に少ないことが判明しました。さらに網羅的な遺伝子発現解析により、Ts1Cjeマウス由来ES細胞は、本来中胚葉系に分化する条件下にもかかわらず、内胚葉系の特徴を持つ細胞に分化し、その後多くが死滅していることが分かりました。また、少ないながらも分化誘導で得られたTs1CjeマウスES細胞由来の原始マクロファージの遺伝子発現解析では、通常のマウスから得たES細胞から分化した原始マクロファージとは異なり、マクロファージが「活性化」したときの遺伝子発現パターンを示すことを見いだしました。一方、Ts1Cjeマウスの胎仔組織でもミクログリアや原始マクロファージの数が減っていることも確認できました。さらに、Ts1Cjeマウス由来ES細胞の分化実験で認められた異常は、ダウン症の方から樹立したiPS細胞でも再現されたことから、モデルマウスのみならずダウン症の方でも認められると推察されます。

 

【本研究の意義と展望】

 今回の研究で、ダウン症において「原始マクロファージ」の発生に異常がある可能性を初めて示しました。この異常は、脳の発達が遅れる原因の一つになっていると考えられます。

 今後は、ダウン症の胎児における原始マクロファージやミクログリアの異常に注目した研究を進めるとともに、詳しい分子レベルの仕組みを解明し、原始マクロファージやミクログリアを標的とした新しい治療法の開発につながることが期待されます。

 

【研究体制】

石原慶一、山本桜絵、秋葉 聡: 京都薬科大学 病態生化学分野

原田考輝、高田和幸: 京都薬科大学 シナジーラボ

若山 清香、若山 照彦: 山梨大学 発生工学研究センター

左合 治彦: 山王バースセンター

下濱 俊: 札幌医科大学、慈誠会 光が丘病院

Florent Ginhoux: Singapore Immunology Network, Agency for Science, Technology and Research、Shanghai Institute of Immunology, Shanghai Jiao Tong University School of Medicine、Translational Immunology Institute, SingHealth/Duke-NUS, Academic Medical Center, The Academia, Singapore、Gustave Roussy Cancer Campus, France、Institut National de la Santé Et de la Recherche Médicale (INSERM), France

 

【備考】

本研究の一部は、 以下の研究資金や奨学生制度のもと実施されました。

日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金(科研費); 基盤研究(C) 22K07033 (石原慶一)、新学術領域生命金属科学22H04822 (石原慶一)および基盤研究(B) 20H03569 (高田和幸)

私立大学戦略的研究基盤形成支援事業 (石原慶一)

小林財団 研究助成 (高田和幸)

喫煙科学研究財団 一般研究助成 (高田和幸)

清水免疫学・神経科学振興財団 助成金 (高田和幸)

京都薬科大学 シナジー共同研究 (高田和幸) 

原田考輝は日本薬学会長井記念薬学研究奨励支援事業の奨学生として本研究に従事しました。

 

【発表雑誌】

雑誌名:Immunology

リンク:https://doi.org/10.1111/imm.70070

論文タイトル:Preventing differentiation toward primitive macrophages in stem cells with Down

syndrome

著者:Koki Harada, Keiichi Ishihara*, Sayaka Wakayama, Teruhiko Wakayama, Sae Yamamoto ,

Haruhiko Sago, Shun Shimohama, Satoshi Akiba, Florent Ginhoux, Kazuyuki Takata

*:Corresponding author

 

【研究に関するお問い合わせ先】

京都薬科大学 病態生化学分野 准教授 石原慶一

TEL: 075-595-4656

E-mail: ishihara@mb.kyoto-phu.ac.jp