追加コストなしでダークフォトンの地上最厳制限を達成
1.ポイント
・現代の素粒子物理学は未知の新粒子の存在を強く示唆しており、その探索は半世紀以上にわたり重要な研究課題となっている。
・本研究では、素粒子物理とは別の目的で建設された放射光施設を活用し、既存の放射線安全管理の測定結果から、ダークフォトンと呼ばれる仮説粒子に対して実験室で最も強い制限を与えた。
・本手法は、既存設備のみで実現可能な低コスト・共存型の新しい素粒子実験手法であり、新たな実験の枠組みを提示するものである。本研究成果はPhysical Review Lettersに掲載された。
2.概要
未知の素粒子(注①)の探索は通常、大型で専用の加速器・検出器を必要とし、国際協力による大規模プロジェクトとして進められ大きな成功を収めてきました。一方、これとは別のアプローチとして、東京都立大学大学院理学研究科物理学専攻の殷文准教授は、物質・生命科学に広く利用されている放射光施設に着目し、既存設備を活用した新しい未知粒子探索手法を提案・実証しました。殷文准教授は詳細な理論解析により、放射光の生成過程でダークフォトン(注②)などの未知粒子が生じ得ることを示しました。こうした粒子は放射線防護壁を通過し、人間が常時活動する空間も通過していくため、そこに検出器を設置するだけで新粒子探索が可能であることが分かりました(図1)。さらに、放射線安全管理として既に行われている測定結果を活用することで、ダークフォトンに対する実験室系で最も強い制限を導出しました。本研究は、既存研究インフラを活用した新しい素粒子実験の方法論を提示するものです。本研究成果は2026年4月3日付(日本時間)、 American Physical Societyが発行する学術誌「Physical Review Letters」に掲載されました。なお、本研究は科学研究費助成事業(科研費)22K14029, 23K22486の支援及び東京都立大学若手研究者等選抜型研究支援(有望研究)を受けて行われました。
図1 提案する実験のイメージ図。青い螺旋はアンジュレータ中の磁場、赤い点線は加速された電子の軌跡を表す。電子の加速運動により放射光(黄色)とダークフォトン(黒)が生成される。ダークフォトンは遮蔽壁を透過して検出器に到達し、内部で電子の雪崩現象(赤)を引き起こす。
3.研究の背景
未知の素粒子の探索は、宇宙の成り立ちやダークマター(注③)の正体を理解するうえで重要であり、素粒子物理学の次のステージを切り拓く鍵となります。例えば、宇宙には既知の物質の約5倍に相当する未知の物質「ダークマター」が存在することが知られていますが、その正体は現在の素粒子物理学では十分に説明されていません。ダークマターの候補として、「ダークフォトン」という未知素粒子が挙げられています。これは光を担う素粒子である光子(フォトン)に対応する存在であり、物質と極めて弱い相互作用しかしない質量を持った粒子です。
これまでの未知素粒子探索は、専用の大型加速器や検出器を用いた大規模実験を中心に進められ、ヒッグス粒子の発見など大きな成果を上げてきました。一方で、こうした実験には多大なコストと時間を要します。さらに、ダークマターをはじめとする新粒子の探索に向けて高エネルギー・高精度が求められるにつれ、その負担は一層増大しています。このため、既存の手法を補完するより簡便で効率的な新しい探索手法の開発が求められています。
そこで注目したのが放射光施設です。放射光施設は加速した電子から強力な光(X線など)を発生させる装置「アンジュレータ」を備え、これを光源として物質科学や生命科学の研究に利用する大型研究インフラです。日本にはSPring-8、NanoTerasu、KEKフォトンファクトリーなど多様な放射光施設が整備されています。これまで、素粒子実験への放射光施設の応用はほとんど考えられてきませんでしたが、近年、殷文准教授と吉田純也准教授(東北大学)による理論研究により、アンジュレータにおける光の生成過程で、微弱な相互作用をもつ新粒子が同時に生成される可能性が指摘されました【Yin,Yoshida,Phys.Rev.D 111 (2025) 3, 036020; Yin, 2507.22055, Journal of High Energy Physicsに掲載決定済み】。
このような背景のもと、本研究では既存の放射光施設の構造を世界で初めて活用し、簡便かつ低コストで未知の素粒子を探索する新たな手法を提案し、実証しました。
4.研究の詳細
本研究では、放射光施設における光の生成過程そのものが、ダークフォトンの新たな生成源となり得ることに着目しました。放射光施設では、電子を高速に加速しアンジュレータと呼ばれる周期的な磁場構造を通過させることで、高輝度のX線が生成されます。本研究では、このアンジュレータにおける電子の運動と電磁場の相互作用を素粒子理論に基づいて解析し、通常の光とともにダークフォトンと呼ばれる仮説粒子が副産物として生成される可能性を示しました。さらに、光を実験ハッチへ導くための光学系のミラーでの反射過程においても、ダークフォトンが生成され得ることを明らかにしました。
生成されたダークフォトンは、通常の光とは異なり物質との相互作用が非常に弱いため、放射線遮蔽壁を透過して人間の活動スペースに到達し得ます。しかし放射光施設の人間が活動するスペースでは、放射線量が人体に影響がない量であることが確認されていることから、この事実をもってダークフォトンと物質の相互作用の強さに上限値を与えることができます。これはすなわち、既存設備をそのまま利用する「共存型」の加速器実験です。
これまでダークフォトンの地上実験(注④)は、光を遮蔽壁に当て、その先で検出を試みるLight-Shining-Through-a-Wall(LSW)実験として、欧州で行われているALPS(Any Light Particle Search)実験をはじめ精力的に進められてきました。本研究の手法もLSWの一種と位置付けられますが、ダークフォトンの生成と遮蔽壁が放射光施設に元々備わっているものを利用するという点が大きく異なります。そのため本実験は、専用の生成装置やビームタイムを必要とせず、通常の放射光実験と並行して実施できる点が特徴です。さらに、従来の実験では単色化などで光量を落とした光をダークフォトン生成に利用していたのに対し、本手法ではアンジュレータからの高い強度のダークフォトンを直接利用するため、高い感度の測定が可能となります。
解析では、実際の放射光施設の構造や光学系、遮蔽体、大気の影響を考慮し、ダークフォトンの生成から伝播、検出までを一貫して理論的に評価しました。特に、放射線安全管理に用いられるガイガー=ミュラー計数管に着目し、その応答を理論的に解析しました。その結果、ダークフォトンは検出器内部の気体(アルゴンなど)と相互作用して電離を引き起こし、電子の雪崩現象を誘起することが示されました。これにより、既存の放射線モニタリングを活用することで、1―50eV(注⑤)の質量を持つ場合のダークフォトンと電子の相互作用に対して実験室で最も強い制限を与えられることが分かりました。図2から、この質量範囲において、電子とダークフォトンとの相互作用は通常の光との相互作用である電磁相互作用の0.00001倍以下である必要があることがわかります。これは、従来の専用実験と比較して追加コストなしですでに達成できている点が大きな特徴です。
本手法の社会的・学術的意義は大きく、本来別目的で設計された既存の大型研究インフラを活用することで、新たな素粒子探索の機会を飛躍的に拡張できる可能性があります。つまり、この手法を日本や世界各地の放射光施設に適用することで、様々な条件でダークフォトンを効率的に探索することが期待されます。また、本研究では簡便な検出器を想定しましたが、より高感度な検出器を適切に配置することで、将来的には未知粒子の発見に至る可能性もあります。
殷文准教授は「これまで素粒子探索は専用の加速器や検出器の整備が不可欠と考えられてきましたが、本研究は既存の研究インフラをそのまま活用する新しいアプローチを示したものです。このような実験を可能にするためには、研究インフラの原理や構造を素粒子物理の言葉で記述する必要がありました。放射光施設という異分野の装置が素粒子物理にも活用できることを示した点に意義があります」とコメントしています。
本研究は、従来の大規模実験を補完する新たな探索手法を提示するものであり、既存の他分野インフラを活用した素粒子探索という新しい方向性を示しています。さらに、本研究は、素粒子物理学を他分野の技術に適用し、どのような新粒子がどの程度生成・探索され得るかを理論的に明らかにするという、新たな理論研究のあり方をも示しています。放射光施設における光の生成過程そのものが未知の素粒子の生成源となり得ることを明らかにした点は、今後の実験手法の拡張に大きく寄与すると期待されます。
5.研究の意義と波及効果
図 2 放射光施設の放射線防護壁外における安全管理の要求から得られた新たな制限(赤実線、青波線、緑点線、紫点波線はそれぞれ異なる放射光施設を想定)。灰色の領域は既存の地上実験による制限を示す。
本研究は、既存の放射光施設をそのまま活用することで、未知の素粒子探索を可能にする新しい実験手法を提案・実証した点に大きな意義があります。さらに、今後高感度の検出器を適切に配置することで、同様の手法を用いた直接的な探索へと発展させることが可能です。このような「共存型」実験は、研究資源の効率的な活用という観点からも重要な新しいアプローチです。
殷文准教授は「大型加速器や専用検出器による研究は今後も極めて重要ですが、それと並行して、このような低コストで継続的に実施可能な実験により、相補的に新しい物理を探り、素粒子探索の可能性を広げることも重要であると考えています。理論の立場からも、実験施設の構造と原理を理解する必要があるため、今後は実験研究者との連携がますます重要になると考えています」とコメントしています。
学術的には、放射光施設という異分野の研究基盤を素粒子物理に応用することで、新たな研究領域を切り拓く可能性を示しました。特に、日本や世界各地に存在する多数の放射光施設を用いることで、広範なパラメータ領域を同時並行的に探索できる可能性があります。また、より高感度な検出器を導入することで、従来の実験を補完し、未知の素粒子の発見に迫る実験戦略へと発展することが期待されます。本研究ではダークフォトンに着目しましたが、他の新粒子候補についても同様に生成され得ることが示されており、適切な検出環境を整えることで探索が可能であることが理論的に明らかになっています【Yin,Yoshida,Phys.Rev.D 111(2025)3,036020】。
さらに、本研究は既存インフラの新たな活用法を提示するものであり、低コストで持続可能な研究の在り方にも寄与します。物質科学や生命科学で整備されてきた放射光施設が、基礎物理学のフロンティア研究にも貢献し得ることを示した点で、分野横断的な波及効果が期待されます。
6.用語解説
(注①)素粒子
物質を構成する最も基本的な粒子であり、電子やクォーク、光子などが知られています。素粒子の性質と相互作用はあらゆる物質の振る舞いを支配しており、未知の素粒子の探索は、物理法則の根本的な理解に直結します。
(注②)ダークフォトン
仮説的な素粒子であり、近年さまざまな理論的・実験的研究が進められています。電磁気を担う光子(フォトン)と類似した性質を持ちますが、非常に弱い相互作用しかせず、質量を持たない光子とは異なり、質量を持つ可能性が指摘されています。
(注③)ダークマター
宇宙の初期膨張を説明する「インフレーション」、未知の物質である「ダークマター」、および物質と反物質の非対称性は、現在の素粒子物理学では十分に説明されていませんが、その存在は宇宙観測などから強く示唆されています。このため、素粒子物理学のさらなる拡張が必要と考えられています。
(注④)地上実験
天体や初期宇宙の進化によって生成された新粒子を探索し、その制限を与える研究が存在しますが、これらに対し、新粒子の生成と検出の系をすべて地上で行うことを地上実験といいます。人工的に制御されたシステムを用いることで、不定性や天体・宇宙論モデルへの依存性を少なくすることがメリットであり、素粒子探索において広く用いられる堅固な手法の一つです。
(注⑤)eV(電子ボルト)
エネルギーの単位ですが、アインシュタインの特殊相対性理論により、エネルギーと質量は等価であることが知られています。そのため、素粒子物理学ではeVを質量の単位としても用います。例えば、電子の質量は約511,000eVであり、本研究で扱う1–50eVという領域はそれよりもはるかに軽い粒子質量に対応しています。
7.論文情報
掲載誌:Physical Review Letters
タイトル:Novel limits on dark photon mixing from radiation safety
著者:Wen Yin
DOI: DOI: https://doi.org/10.1103/snnn-wqxg
URL:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/snnn-wqxg











