春の鈴鹿でF1が開催され、今年もモータースポーツシーズンが本格化。そんな中、5月には若手レーサーの登竜門「FIA―F4」が開幕する。世界各国で開催される世界基準のエントリーフォーミュラシリーズで、日本では2015年にスタート。これまでに坪井翔、牧野任祐、大津弘樹、宮田莉朋、阪口晴南、笹原右京、大湯都史樹、名取鉄平、そして角田裕毅と、数々のトップドライバーを輩出してきた。〝モータースポーツの甲子園〟と呼ばれるこのシリーズに、各務原市出身の18歳、百瀬翔が2年目のシーズンに挑む。岐阜新聞社は今シーズン、百瀬を全力で応援。岐阜新聞デジタルで、毎レース終了後のインタビュー記事をお届けする。開幕前の第1回は、F4に参戦するまでのレースキャリアについて聞いた。(インタビュアー 岐阜新聞・山田雄大)
 

スマホ見せてグルメ・買い物お得に 岐阜新聞デジタルクーポン

泣きながら「絶対チャンピオンに」

 ―レースを始めたきっかけは。
 父が元々レースが好きで、3歳のときにカートを始めました。僕がやりたいと言ったわけではなく、「趣味でちょっとやらせてみるか」という感じでした。父の転勤で岐阜県に引っ越してきて、愛知県豊田市の「石野サーキット」のキッズカートスクールに入りました。
 ―初めてカートに乗ったときのことは覚えていますか。
 
自分はあまり覚えていなくて。親に聞くと最初はめちゃくちゃ怖がっていて、自分でヘルメットもかぶれず、エンジンをかけることもできなかったみたいです。
 ―初めてレースに出たのはいつですか。
 
6歳です。地方のレースとか全国大会を両親と一緒に行って、楽しくやっていたような記憶はあります。その頃は別にプロになりたいと考えていたわけではありませんでした。(自衛官をしている)父の影響で車よりも飛行機がすごく好きで、小学1年までは戦闘機のパイロットになりたいと思っていました。

 ―いつごろからドライバーになりたいと思うようになったんですか。
 カデットオープン(小学2年以上)に出ていた10歳のあたりで、真剣にドライバーになりたいって思い始めました。スーパーGTがすごく好きで、小さい頃からずっと見ていて。ドライバーが夢になってカートも頑張ろうと思うようになりました。カデットオープンでチャンピオンになって、13歳でジュニアマックスでもチャンピオンを獲れました。結構戦えるようになって勝てる力も付いてきた時期ですね。11歳のときに下のクラスで悔しい思いをして、「上に行ったら絶対チャンピオン取りたい」って泣いて言っていたので、ジュニアマックスは本気でチャンピオンを獲りにいきました。
 ―そして、全日本選手権FS―125クラスに進みましたね。
 2年目の15歳のときは、チャンピオンを獲らないとこの先がないと思っていました。他の人たちに比べてもそこまで裕福な家庭ではなかったし、親からも「もう(レース費用を)払えないから、この先は自分でやってくれ」と言われていました。結構追い詰められていた時期ではありますね。毎戦緊張したシーズンを送っていた印象があります。チャンピオンは獲れたんですけど、最終戦で思うような実力が出せなくて、そこまでうれしいという気持ちはなかったです。やっぱり勝ってチャンピオンを獲りたかったっていう気持ちがすごいあったので、モヤモヤした終わり方ではありました。

 ―「いよいよ次はフォーミュラだ」って気持ちは強かったですか。
 そうですね。FS―125の上にOKクラスっていうカートの最高峰のクラスがあるんですけど、僕はそこまで魅力を感じていなくて。上を目指すんだったら、早く四輪に行った方がいいって思っていました。

「四輪だったらやっぱりホンダに」

 ―四輪デビューを目指して、ホンダレーシングスクール鈴鹿に入校します。入校の経緯やスクールでどんなことを学んだかを教えてください。
 カート時代からホンダさんにはお世話になっていて、四輪に行くんだったらやっぱりホンダがいいっていうことで自然と選びました。1回落ちたんですけど、2回目で合格して入校できました。入校生は僕を含めて8人。スクールって言っても、自分から学びに行く場で、僕は入校した他の子に比べて四輪のレース経験が少なかったので、スタートの仕方とか走らせ方とかバトルの仕方とかゼロから学びました。講師を務める現役のプロドライバーたちに自分からどんどん質問して、レベルを高めていきました。
 ―話が少し戻りますが、スクールに入る前に四輪を走らせた経験はあったのでしょうか。
 あります。でもレースはしていません。スーパーFJとフォーミュラルノーに乗りました。主にフォーミュラルノーだったんですけど、トータルで12~15時間ぐらいですかね。他の入校生は余裕で100時間近くは走っていたと思います。

 ―四輪経験が圧倒的に少ない中、スカラシップ(特待生)獲得のための最終選考会に進みました。最終選考会を振り返ってみていかがでしたか。
 最終選考会には4人が進みました。選考会は2回あって、1回目は経験の差もあって最初は厳しかったんですけど、どんどんレベルを上げていくことができて、周りと張り合えるようになっていきました。2回目は最初すごく調子が良くなくて…。その後のインターバルで自分なりにどう改善すべきかを考えた結果、いろいろと答えが見つかってその後は思うような走りができ、講師よりもいいタイムを出すことができました。
 ―ですが、スカラシップは獲得できなかったんですよね。
 そうです。やっぱりすごい悔しかったですし、自分の名前が呼ばれなかったときは頭が真っ白になりました。でもその後、校長の佐藤琢磨さんからF4に出られるという話をもらって。良かったなとは思いつつも、契約金とかいろいろあってそういうのが払えるのだろうかっていう不安の方が大きかったです。お金の心配はこれまでもずっと付きまとっていましたからね。正式にレースに出られることが決まったのは修了式から1カ月後ぐらいでした。

(第2回に続く)

 

百瀬 翔(ももせ・しょう) 各務原市出身。2007年5月20日生まれ。3歳からカートを始め、カデットオープン(小学2年以上)、ジュニアマックス(同6年以上)と各世代別で王者を獲得し、15歳で全日本選手権FS―125クラスでシリーズチャンピオンに輝いた。ホンダレーシングスクール鈴鹿を卒業し、2025年から「FIA―F4選手権」に参戦。1年目は3位を2度記録し、総合6位だった。26年も引き続き「HFDP with B―MAX Racing Team」から同選手権に挑む。身長173㌢、体重63キロ。