秋田和哉監督インタビュー第6回は岐阜城北へ異動し、2024年夏、岐阜大会決勝で絶対的なV候補だった100周年の母校・県岐阜商を倒して甲子園出場を果たした秘話など、岐阜城北での指導について聞いた。(岐阜新聞デジタル独自記事です)

 秋田和哉(あきた・かずや) 1968年、岐阜市生まれ。内野手、捕手。県岐阜商3年時に夏の甲子園に出場。名城大に進み、1年から出場、4年時に主将も務めた。岐阜県で教員になり、母校の県岐阜商副部長、中濃(現関有知)監督を経て、99年に市岐阜商に転任し、翌2000年から監督。03年と08年に2度甲子園出場し、常に県上位の強豪校を築く。中神拓都(元広島)らを育てる。20年から岐阜城北に転任し、監督。24年に甲子園出場を果たした。4人の息子も高校球児で長男千一郎(市岐阜商出)、四男和佳(岐阜城北出)とは親子鷹で甲子園を目指した。

 ―異動は青天のへきれきだったわけですか。

2024年夏の岐阜大会を制して甲子園出場を決めた秋田和哉監督=長良川球場

 秋田 自身では市岐阜商を出るつもりは全くなかったし、まだまだ勝負できると集めた選手も残してきた。異動は2020年で、ちょうどコロナ禍が始まった年。いろいろなことがあって、結局、頭の中がすべてクリアになって岐阜城北に転勤した。

 コロナになったのが2月くらいで、3月からの大会がなくて異動になった。自粛、自粛で送別会も歓迎会もなく、学校が始まったのが6月だった。市岐阜商最後の3月は何をやっていたのかが記憶にないくらい。20年間、市岐阜商で監督をやって、これが最後ということも何もなく終わった。

 試合としては、前年19年の11月に、学校創立50年の記念試合で木更津総合(千葉)と長良川球場でやったのが結局、最後になった。木更津総合はDeNAにドラフト2位で指名された篠木健太郎というピッチャーがいて、いい試合をした。

 ―岐阜城北にきたころは。

 秋田 3年生は30人くらいいたが、2年生は10人くらいで、僕と一緒に入った1年生は13人しかいなくて、ピッチャーもキャッチャーもいなかった。...