戦国飛騨の歴史を肌で感じる貴重な遺構

広瀬城跡は、国の史跡指定を目指して令和6年度から発掘調査を行っている戦国時代の山城です。斜面を何重にも遮断する「畝状竪堀群」が見事な状態で残っており、当時の飛騨がいかに熾烈な戦乱状態にあったかを今に伝えています。これまでの調査成果をお知らせする現地説明会を4月25日に開催しました。当日は約100名の参加があり、発掘調査の担当者の解説とともに戦国時代の緊張感漂う城郭遺構を間近で体感していただきました。
■広瀬城跡の概要
広瀬城跡は、高山市国府町名張と瓜巣にまたがる山上に築かれた城です。
国府町広瀬を本拠地とした広瀬氏の城で、城代であった田中与左衛門の名から「田中城」とも呼ばれました。当初広瀬氏は広瀬に築いた山崎城を居城としましたが、瓜巣の高堂城、そして広瀬城に移ったといわれています。
広瀬氏は後に三木氏の配下となりましたが、『千光寺記』や『飛騨群鑑』などによると甲斐の武田氏に通じたとして滅ぼされ、広瀬城は三木氏の城となりました。松倉城を嫡子・秀綱に譲った三木自綱が居城としましたが、天正13年(1585)、羽柴秀吉の命をうけた金森長近の侵攻により落城したと伝わります。
■広瀬城跡発掘調査の成果
本丸では礎石が2基確認されました。礎石の周辺では、青磁の碗や香炉の破片が出土しています。青磁は16世紀頃の中国で作られたもので、高価な輸入品を使用することができた人物がこの城にいたことがわかります。

本丸礎石

本丸出土青磁 香炉(左)、碗(右)
本丸の東側斜面には以前から石積みがあることが知られていました。今回の調査では石の積み方や範囲を調べました。その結果、川原石のような大きな丸石が使われていること、斜面に差し込むように石を並べていること、斜面の下には崩れた石が並んでいることがわかりました。

本丸東側斜面石積み
二ノ丸では、曲輪を造成した様子が土層の観察からわかりました。造成した土からは古墳時代の須恵器や土師器が出土しており、城が造られる前には古墳があったことが考えられます。

二ノ丸トレンチの土層

二ノ丸出土遺物 土師器(左)、須恵器(右)
二ノ丸北側の堀切は、現在でも尾根を深く断ち割っているように見えますが、当初はもっと深く掘られており、底には尾根から落ちたと思われる石が堆積していました。

二ノ丸北側堀切
【本件に関するお問い合わせ】
高山市教育委員会文化財課
住所:〒506-8555 岐阜県高山市花岡町2丁目18番地
電話:0577-35-3156
FAX:0577-35-3172
メールアドレス:bunkazai@city.takayama.lg.jp
企業プレスリリース詳細へ
PR TIMESトップへ









