遺族会が開いた慰霊祭=22日、北海道留萌市
 「三船遭難事件」の犠牲者名簿を手にする中尾則幸さん=7月、札幌市

 終戦直後、南樺太(現ロシア・サハリン南部)からの引き揚げ船3隻が、北海道・留萌沖でソ連軍とみられる潜水艦に攻撃された「三船遭難事件」は約1700人が死亡、行方不明となった。「この世に生を受けた証しを残してあげたい」。テレビ局で事件を長年取材した札幌市の映像プロデューサー中尾則幸さん(79)は犠牲者の身元を調べ、名簿作りを続ける。

 事件は1945年8月22日に発生した。乗船者の名簿はなく、身元が分からない犠牲者も多い。取材を始めたのは、札幌テレビ放送(札幌市)のディレクターだった73年。沿岸や高台の住宅を1軒ずつ訪ね、目撃者の証言を集めた。取材した生存者や遺族、関係者は、12年間で数百人に上る。

 犠牲者名簿を作り始めたのは約10年前。基にしたのは、67年に北海道庁が作成した遭難者名簿だ。生存者が書かれていたり、氏名が二重に記載されたりしている不備には、取材時も気が付いていた。事件に関する本を執筆しようと当時の資料をさかのぼる中で、多くの人に事件を語ってもらったものの、長年放置していた後悔に駆られた。