ラストランとなった1990年の有馬記念を制覇したオグリキャップ(競馬ブック提供)

 平成の時代も残り少なくなってきたが、競馬界はバブル経済の影響で浮き沈みがあった。3冠馬や3冠牝馬は数多く誕生したが、「芦毛の怪物」と呼ばれ、最後まで諦めない感動的な走りでファンを勇気づけたオグリキャップは、日本競馬史上最高のスターホースであり、時代を超えて「永遠のヒーロー」である。

 長い写真判定の結果、ハナ差勝ちした毎日王冠やマイルCS。結果が分かっているレース映像だが、何度見てもなぜか胸が熱くなる。ラストラン・有馬記念Vでの「伝説のオグリコール」から28年が過ぎたが、オグリキャップを超える国民的アイドルホースは出現しなかった。笠松時代からこの名馬を見てきた一人として、「オグリの里」を通して、競馬ファンを熱狂させた力強い走りを新しい時代へ語り継いでいきたい。

 年末の有馬記念が近づくと、武豊騎手も「オグリキャップの取材で、必ずインタビューを受けますよ。すごい馬でしたねえ」と語っているように、競走馬のうちで、オグリ特番の放映回数は断トツだろう。
 
 4年前にJRAの競馬誌「優駿」が実施した、ファン投票による「未来に語り継ぎたい名馬BEST100」(2015年版)を振り返りながら、改めて永遠のヒーロー像を探ってみた。

 ■ベスト20は次の通り。
①ディープインパクト  ⑪テイエムオペラオー
②オルフェーヴル    ⑫ジェンティルドンナ
③オグリキャップ    ⑬ブエナビスタ
④ウオッカ       ⑭テンポイント
⑤サイレンススズカ   ⑮メジロマックイーン
⑥ナリタブライアン   ⑯シンザン
⑦シンボリルドルフ   ⑰エアグルーヴ
⑧トウカイテイオー   ⑱スペシャルウィーク
⑨ダイワスカーレット  ⑲クロフネ
⑩エルコンドルパサー  ⑳ハイセイコー

笠松競馬場で行われたオグリキャップ引退式。安藤勝己さんを背に、3万人近いファンが声援を送り、オグリコールが響き渡った=1991年

 昭和の時代からはシンボリルドルフ、テンポイント、シンザン、ハイセイコーの4頭がベスト20入り。ディープインパクト級の追い込みを決めた3冠馬ミスターシービーは23位で低評価。レース中の故障で、天国に旅立ったサイレンススズカとテンポイントも記憶に残る名馬として人気が高い。ウオッカと死闘を演じたダイワスカーレットは、安藤勝己さん騎乗で有馬記念も制覇し印象深い。
 
 ■2010年版の上位5頭 
①ディープインパクト②ウオッカ③ナリタブライアン④オグリキャップ ⑤シンボリルドルフ
 
 2000年代の新興勢力にも負けずに、2015年版でオグリキャップは2010年版の4位から3位に上昇。ベスト10ではサイレンススズカ(2010年版6位)とともに順位アップ。その魂の走りは色あせることなく、輝きを増している点がすごい。GⅠをいっぱい勝ち、ただ強いだけでは、ファンの心はつかめない。「地方から中央へ殴り込み」とか、「大けがから1年ぶりに復活」といった、ファンが夢を共有できるドラマチックな展開が人気沸騰の鍵になる。
 
 ベスト20のうち、競馬をやらない人でも「馬名を聞いたことがある」という競走馬は何頭いるだろうか。日本ダービーや有馬記念当日、夜の一般ニュースでも取り上げられ、社会現象にまでなる人気を集めたスーパーホースは、どれだけいただろうか。最近では歌手・北島三郎さんの所有馬でもあり、GⅠを7勝したキタサンブラックが注目を集めたが、次回(5年ごとなら2020年版)の投票では何位にランクインするのか。牝馬3冠のアーモンドアイが目標の凱旋門賞を勝てばトップも狙えそうだ。そしてオグリキャップの順位はどうか、興味深い。

 1位をキープしている3冠馬ディープインパクトの馬名は、その響きの良さからも知名度は高い。父サンデーサイレンスで、ノーザンファーム生産のエリート馬。最後方から追い込むスタイルで、武豊騎手も「飛びましたね」と形容したほど、勝ちっぷりが鮮やかだった。圧勝続きで日本最強馬といえるが、強力なライバル不在で、ゴール前での「ハラハラ、ドキドキ感」にはやや欠けたのでは...。凱旋門賞では失格となったが、たまには負けることも人気馬になる条件の一つだ。平成最後の3冠馬でGⅠを6勝し、凱旋門賞2着だったオルフェーヴルだが、その名声は競馬ファン以外にどれだけ浸透しているだろうか。

笠松競馬場内で、ファンを出迎えてくれるオグリキャップの銅像

 競馬ブームの主役として、社会現象にまでなったのは、やはり昭和の時代のハイセイコーと、平成へと時代をまたいで駆け抜けたオグリキャップの2頭だろう。中央のエリート馬ではなく、ともに「地方出身馬」だったが、これこそが国民的ヒーローとなるキーワードだ。

 ネット投票がまだない時代、地方から都会に働きに出てきた人が、地方出身馬による天下取りのサクセスストーリーに共感。競馬場に足を運んで、オグリキャップやハイセイコーが一生懸命に走る姿に、自らの境遇を重ね合わせて、「自分ももうちょっと頑張ってみよう」と奮い立ったことだろう。
 
 個人的には、学生時代はパチンコ・マージャン派で、まだ馬券を買えなかった競馬にほとんど興味がなかった。プロ野球が好きで、巨人の長嶋茂雄さんのファンだった。「プロ野球界で最高のヒーローは誰か」と問われれば、皆さんはどう答えるだろうか。世代ごとに意見は分かれるが、やはりトータル1位は、天覧試合のサヨナラ弾など劇的な一打でファンを魅了した長嶋さんではないか。「記録よりも記憶に残る」。オグリキャップもそういった存在だろう。

 東京ドームの完成以前、巨人戦が行われていたのが後楽園球場だった。デーゲーム終了が午後4時半頃で、近くの場外馬券発売所からは、おじさんたちがドッと出てきて、ごった返した。すれ違う人たちを見て「馬っていう顔をしてるなあ」と友人が一言。若者の姿は少なかったが、勝っても負けても、馬券をいっぱい買って競馬界を支えるファンは、いつの時代も中高年男性が中心である。

昭和の競馬ブーム主役となったハイセイコーの銅像と歌碑=北海道・新冠町

 当時はハイセイコーが巻き起こした第1次競馬ブームの頃。大井から中央に移籍した怪物に騎乗した増沢末夫さん。皐月賞と宝塚記念を制覇し、自ら「愛の右ムチ打ちつけたよ...。ありがとう友よ」と歌った「さらばハイセイコー」(引退記念盤)の曲が、パチンコ店でよく流されていたことは覚えている。

 オグリキャップ人気が沸騰したのは1989年秋。オールカマーから有馬記念までの99日間に、GⅠ・4戦を含め計6戦に挑んだ。今では考えられない過酷なローテーションだったが、隔週で走ることが多かった笠松時代の経験を生かせば、勝ってくれると信じていた。マイルCSからジャパンCへの連闘でも「強力な外国勢の参戦で、オグリの人気が落ちるなら(単勝5.3倍)逆にチャンスだ」と、単複で勝負した。

オグリキャップの笠松競馬場里帰りで、場内には縫いぐるみと一緒に来場した女性ファンも多かった=2005年

 結果はホーリックスに敗れ2着だったが、実況アナさえも「オグリキャップ頑張れ」と声援を送ったその激走は、競馬ファンのハートにグサリと突き刺さった。オグリの縫いぐるみを抱えて、競馬場に詰め掛けた女性ファンの姿は当時の競馬ブームの象徴であり、競馬を明るいイメージに変えて、社会現象にもなった。

 翌年の引退レース・有馬記念での優勝は「(11着に沈んだ)ジャパンCはわざと負けたんじゃないかと思えるほど、ストーリー性があった。『オグリコール』ではスタンドごと大きく揺れていたし、泣いているファンもいっぱいいましたよ」と武豊騎手。

 オグリキャップ最後の産駒・ミンナノアイドル(牝12歳)の次男の馬名は「ミンナノヒーロー」(牡2歳)に決まった。競馬はロマンであり、一口馬主としても応援しているが、兄ストリートキャップ(JRA3勝)を超える活躍が期待されており、新時代になってからのデビューが楽しみだ。