「(唄)我が産土(うぶすな)の生津(なまづ)村 真中に建てる学び舎は」。中田明さん(91)=岐阜県本巣郡北方町高屋=が口ずさむのは、旧本巣郡生津村にあった旧生津小学校の校歌。村は穂積町(現瑞穂市)と北方町に分村合併して消滅し、同校も65年前に廃校となった。いまや同校の存在を知る人は同町内ではわずか。その記憶を伝える貴重な証人が、65年ぶりの"帰郷"を果たした。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」旧生津小の跡地にほど近い北方南小(同町高屋分木)。正門脇の二宮金次郎像はもともと旧生津小に建てられていた像だ。廃校後に北方小(同町北方)に移されていたが、今年1月、地元の人たちの尽力により旧村内に戻ってきた。
旧生津村は、現在の瑞穂市馬場、生津地域と、北方町の高屋、柱本地域で構成。役場も学校も高屋にあったが、跡地は住宅街になっている。北方町史などによると、1954年に南部が穂積町に、55年には高屋、柱本地域が北方町に合併。旧生津小は56年に廃校となった。現在の瑞穂市立生津小(同市馬場上光町)は79年の設立で、旧生津小の後継校ではない。
金次郎像は旧生津小に通った人々にとっては思い出深いものだという。台座の銘板に「紀元二千六百年記念 昭和十五年」の文字が読み取れ、1940年の設置。中田さんの在校中の出来事で、「貧乏な村だったが、本巣郡で一番立派な像ができて誇らしかった」と懐かしむ。5年生まで同校に通った八代勝秋さん(76)=同町高屋=は「自分は卒業生になれず、卒業アルバムなど形として残る思い出がない。金次郎像は生津小が確かにあったことを示す大切な存在」と語る。
八代さんは、同町の小中一貫義務教育学校「北方学園」構想に伴い、北方小の金次郎像が撤去されるかもしれないと聞き、「生津小の記憶を旧村内に残してほしい」と移転保存を訴えた。「昔のものは一度なくなったらそれで終わり。あるうちにやらなきゃという思いだった」と話す。
旧生津村生まれの安藤浩孝町文化財保護協会理事(69)も移設を働き掛けた一人。「北方学園では地域学習を重視する。歴史レガシーとして学習の一つの材料になれば」と願っている。
【記者のひと言】
北方南小にはもう一つ、旧生津小の"形見"が残る。「北緯35度27分、東経136度41分」。かつて生津小に立っていた石柱だ。二宮金次郎像に先立ち、八代さんらの尽力で南小の敷地内に移された。かつての在校生の思いと記された数字の意味を、地元の子どもたちが受け止め、伝え継いでいってほしい。










