1891(明治24)年に発生し、岐阜県内を中心に7千人を超える死者を出した濃尾震災から、28日で130年がたった。当時を知る人はすでにいないが、その記憶や教訓はさまざまな形で残されている。先人たちが伝えようとしたものは-。断片を県図書館の協力で振り返った。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」3枚の画像は、いずれも県図書館蔵。地震で長良川に架かる東海道線の鉄橋が崩落し、岐阜のまちで火災が発生。戦時中の空襲で焼け野原になったことは知られているが、その前の濃尾震災でもまちが焼けた。木版画の錦絵は、その時の様子を刷り出している。
写真や絵だけでなく、歌にも残る。明治期に作られた「鉄道唱歌」。日本地理を楽しく学べる唱歌として流行し、歌集が広く普及した。岐阜は1900年の第1弾「東海道編」で「地震のはなしまだ消えぬ 岐阜の鵜飼も見てゆかん」と登場。沿線の名所を中心に歌う唱歌だが、岐阜だけ時事的な話題。地震から9年たっても意識されるほど、濃尾震災が世の中に与えた衝撃は大きかった。
夏に濃尾震災の企画展を開いた県図書館。担当した郷土・地図情報係の西村三紀郎さん(65)は「当時は震災数え歌も作られ、流行した。教訓を歌にして後世に伝えたかったのでは」と想像する。だが、そうした流行も今では"初耳"だ。130年を機に改めて先人たちの思いをくみ、次に来る地震に備えたい。















