濃尾地震に伴う火災で溶けて固まった天保通宝の塊=26日、関市小屋名、県博物館
濃尾地震後の大火で焼失した岐阜市の市街地。背後の山影は金華山(岐阜地方気象台所蔵、災害アーカイブぎふ提供)

 現在の岐阜県本巣市根尾地区を震源に全国で約7千人が死亡した1891年10月の濃尾地震から28日で130年。岐阜市にも壊滅的な被害をもたらし、木造家屋の大半は倒壊、続く大火で2千戸以上が焼失した。十六銀行が保管する溶けて塊になった当時の貨幣からは、震災と火災の猛威がうかがえる。

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 「轟然(ごうぜん)の響(ひびき)と共に激震動を起し地裂け屋倒れ市民狼狽(ろうばい) 親子相顧みるの暇なく叫喚悲號(ひごう)の聲(こえ)四方に起り」

 濃尾地震から1年5カ月後に出版された「濃尾震誌」には、岐阜市の発生時の状況が生々しく描写されている。発生時刻は午前6時37分で、ちょうど朝食の準備が始まっていた。

 「倒屋の下にありし火氣(き)は忽(たちま)ち勢力を得て四邊(へん)に蔓(まん)延」「市街の烟焔(えんえん)は頗(すこぶ)る猛勢を極め(中略)出路を失ひ遂(つい)に無惨の死を遂ぐるものあり」と続く火災の推移が詳細につづられている。

 金華山に近い岐阜市中新町にあった十六銀行(当時は第十六国立銀行)の本店も焼失。金庫で保管されていた銅銭「天保通宝」(天保銭)は火災の熱で溶け、一部は原形をとどめないほど変形して一塊になった。

 「濃尾地震の凄惨(せいさん)さを物語るものとして、しっかり保管している」と同行。十六銀行百年史によれば、5日後の11月2日に支配人の姉宅を間借りして営業を再開し、同月13日には仮営業所を建てている。

 大震報告郡市単位統計表によると、当時の岐阜市の全6346戸のうち、全壊942戸、半壊2994戸、全焼2183戸、半焼18戸で、家屋のほとんどが倒壊もしくは焼失したことになる。死者は245人だった。

 清流の国ぎふ防災・減災センター長の杉戸真太岐阜大特任教授(地震防災学)は「耐震基準の強化で、いま同じ規模の地震が来ても建物は残るだろう」としながら、「問題になるのは延焼火災。市内には消防車が入れないような道が狭い住宅密集地区もあり、次の10年に向けて個人、地域を含めた備えが必要になる」と対策を促した。

 貨幣塊は県博物館(関市小屋名)で開催中の特別展「今日から防災!」(12月12日まで)で展示されている。