歴史教科書で必ず目にし、抜群の知名度を誇る岐阜県不破郡関ケ原町。古くから交通の要衝で、壬申の乱(672年)、関ケ原合戦(1600年)と、2度の天下を分ける戦いの舞台となった。「このまち、まるごと古戦場」。町のキャッチフレーズの通り、町内の至る所に古戦場などの歴史遺産があり、全国から多くの歴史ファンが訪れる。
北の伊吹山地、南の養老山地と鈴鹿山脈に挟まれた土地で、東西を横断する中山道、南から伊勢街道、北からは北国街道が交わる。近畿、東海、北陸、関東を結ぶ街道がつながる関ケ原は、東西文化の分岐点でもある。餅やおにぎりの形、だしの種類、ひな人形の飾り方などが関ケ原付近を境に分かれるとされ、近江と美濃が混ざり合った方言など独特な文化がある。現在も山あいを縫うように国道21号、名神高速道路、東海道新幹線、JR東海道線と、日本の交通や物流を支える大動脈が走る。
町と県は2015年に策定した「関ケ原古戦場グランドデザイン」に基づき、岐阜関ケ原古戦場記念館(同町関ケ原)の建設を中心とする古戦場一帯の再整備事業を進めてきた。大河ドラマ「どうする家康」の放送を控え、地域活性化と歴史遺産の継承に向け、官民の機運が高まっている。
記念館は20年10月、コロナ禍の中でオープン。緊急事態宣言下の昨年9月などに一時休館したが、累計来館者数は開館から1年で10万人を突破。その後も順調に伸び、今年8月に20万人を達成した。多い時は1日1700人ほどが来館。6割が県外客で40、50代が半数を占める。最近は家族連れや若者も増えてきた。
来館者を引きつけるのが、子どもを対象とした特別展やワークショップなどの催しに加え、映像やデジタル技術を駆使した常設展示だ。昨年10月には、合戦をアニメ化した動くインスタレーション「関ケ原山水図屛風(びょうぶ)」が登場。自律走行型ロボット「ミツナリ君」による誘導案内もあり、歴史ファンにも好評という。
記念館は、戦国時代に関する史料の収集にも注力。267点を所蔵し、不破郡垂井町ゆかりの戦国大名竹中家の甲冑(かっちゅう)や南宮大社が所蔵する国重要文化財を預かり、展示したことも。企画課の森島恵理子課長(51)は「認知度が高まり、寄贈や寄託の申し出が増えた」と手応えを話す。
アフターコロナを見据え重視するのが、海外からの観光客だ。多言語音声ガイドや10カ国語の外国語パンフレットを導入。ウェブ予約システムの多言語化も進める。修学旅行を中心とした教育旅行も盛んで、開館した初年度は55校だった受け入れ校が、本年度は99校に増えた。「関ケ原合戦があったこの地での歴史教育、平和学習に価値を見いだしてもらえている」と森島課長。「今後は学芸員や研究者が集う場所、戦国時代、戦国武将を学べる拠点としての役割も担いたい」と見据える。
大河ドラマの放送に合わせ、来年1月17日から、出演者の直筆サインや等身大パネルが並ぶ「『どうする家康』展・ぎふ関ケ原」を開催。秋には徳川家康にまつわる特別展も企画している。「放送を追い風に、通年で観光誘客、周遊観光の促進に取り組みたい」と力を込める。
町の盛り上げに一役買っているのは行政だけではない。今年10月、時代物の甲冑を展示する関ケ原戦国甲冑館が、記念館から徒歩3分の場所にお目見えした。運営するのは奈良県から移住した一家で、館長は12歳の西岡静海(ジョー)さん。「血痕や刀傷が残る当時の甲冑がそろっている。合戦の舞台となった場所で、本物の甲冑から戦国時代を感じてほしい」と来館を呼びかける。
甲冑館は、築52年の木造2階建ての空き家を改修。戦国時代から江戸時代の甲冑や、合戦で西軍を率いた石田三成をイメージした現代甲冑計23点のほか、三成ゆかりの地から見つかった足軽陣がさ、石田の名が書かれた平陣がさ、武具など、貴重な実物が所狭しと並ぶ。
甲冑収集が趣味だった父親が、数多くの古戦場がある町に魅力を感じ、「自分が集めた甲冑をこの町で多くの人に見てもらいたい」と開業を決意。今年8月に空き家を購入して床や天井、壁を改修した。
「関ケ原町で、全国から来る人と歴史の話ができてうれしい」と静海さん。甲冑や戦国武将に関する本を読んで勉強し、来館者をもてなしている。副館長で兄の泰良さん(14)は「人見知りだったけど、歴史の話題をきっかけにPRできるようになった」と周辺で旗を持ち、観光客に甲冑館を案内。弟の良宮(りく)君(11)も「もっとたくさんの人に知ってほしい」と、アシスタントとして2人をサポートする。
来年春には、敷地内に食事所「兵糧」をオープンし、戦国時代や武将にちなんだメニューを提供するほか、今後は宿泊事業も計画する。静海さんは「お客さんから刺激をもらい、歴史がもっと好きになった。全国の歴史ファンに甲冑館を知ってもらい、何度も町に来てもらえるようになるのが目標」と話している。










