高校生の頃に送ったはがきと再会した浅野真美さん(左)と神田卓朗さん=安八郡安八町中、浅野撚糸

 年賀状でも使われる「はがき」。最近は情報通信ツールの発達で、はがきを送るのは正月ぐらいという人も、通年で送ることがないという人も多いかもしれない。ただ、一昔前、昭和の頃は生活に欠かせないコミュニケーションツールだった。ラジオ番組に、せっせとはがきを投稿する「はがき職人」と呼ばれる人もいた。四角い白い紙で、どんなやりとりをしていたのだろう。青春時代をはがきと共に過ごした岐阜県内の女性を取材した。

 安八郡安八町の浅野真美さん(61)。高吸水性タオルメーカー、浅野撚糸(同町)の副社長だ。高校生の頃、ラジオ番組の常連投稿者だった。

 浅野さんが高校生だった1970年代半ば、岐阜放送で「ヤングスタジオ1430(1431)」というラジオ番組が放送されていた。ヤンスタの愛称で、県内の“ナウでヤング”な中高生が聴いた夜の番組。浅野さんも熱心に聴き、毎週のようにはがきを投稿していた。

 「当時は、テレビが一家に1台の時代。親に早く寝なさい、勉強しなさいと言われ、テレビを見られないので自分の部屋でラジオを聴いていた。みんなそうだった」と浅野さん。

 番組は、メッセージや曲のリクエストをはがきで募集。パーソナリティーがラジオネームと共に紹介した。浅野さんのラジオネームは「ふんず真理(まり)」。同級生にも明かしていて、採用されると「きのう読まれたでしょ」と学校で話題になった。「パーソナリティーに覚えてもらいたくてインパクトのある名前を考えた」と笑う。

 音声だけのラジオ番組だが、はがきにイラストを描いて送った。「どうしても読んでもらいたかった」と振り返る。

 岐阜放送の元アナウンサー、神田卓朗さんはヤンスタのパーソナリティーを務めた一人だ。神田さんには毎週二、三百枚のはがきが届いたといい、その多くがイラスト入り。「目立つからでしょう。それを僕らが褒めるので、みんな頑張る。音声でしか伝わらないのにイラストも描いてくれた。うれしかった」

 実は神田さん、そうしたはがきを今も大切に保管している。このほど、当時のはがきを浅野さんの元へ持っていった。44年ぶりの再会。それは、隅々まで空白なく描いたアートのような“作品”だった。今は、はがきを使う機会が減ったという浅野さん。当時のはがきを手に取り「この時期が一番、はがきを送った。思いを届けたいという熱意が伝わってくる。私の青春です」と懐かしむ。

 現在は別のラジオ番組を持つ神田さんも「最近はメールで字面だけのやりとりだけど、はがきに手描きは昭和の古き良き思い出。頑張ってくれたんだから捨てられない」と、人生の宝物にしている。

 白い紙のはがきに描かれた青春の一こま。それは何年たっても色あせず、あの日のまま残っていた。