岡本碧優

 東京五輪から新採用のスケートボードの女子パークで4日、優勝候補に挙がっていた岐阜市の中学3年、岡本碧優(MKグループ)は4位に終わった。「世界で活躍できる選手になりたい」と小学6年で親元を離れ、下宿しながら競技に打ち込んできた15歳。メダルは逃したが、より高く、より美しい技に果敢に挑戦する姿は、大舞台で輝いた。

 愛知県高浜市出身で、小学2年で競技を始めた。転機は小学6年の冬、2018年12月。岡本は一つの決断を下した。指導を受けていたプロスケーター笹岡拳道さんの岐阜市の家に下宿し、より充実した指導を受けることだった。

 両親は当初反対したが、その熱意は揺るがなかった。5位入賞を果たした約1カ月前の世界選手権。入賞に満足することなく、「私も優勝したい」と決心していた。競技に集中できる環境に身を置くことが、夢実現への一番の近道。迷いはなかった。

 一方、下宿を続けるに当たって、笹岡さんは一つの課題を出した。当時はまだ女子選手の成功例がない大技で、空中で1回転半する「540(ファイブフォーティー)」を小学校卒業までに習得すること。岡本も1年半ほど挑戦し続けていたが、成功していなかった。しかし、猛練習を経て約1カ月後の19年1月、ついに成功。その様子を収めた当時の映像には、両手を高く掲げてガッツポーズし、涙をこぼして喜ぶ姿が鮮明に残っている。

 最強の武器を手に入れた岡本の快進撃が始まった。19年の五輪予選対象大会は、4戦全勝。一気に「オカモト」の名を世界にとどろかせた。今回の五輪でも、予選、決勝を通じて「540」は健在で、その高さも群を抜いていた。

 決勝の最終滑走後には、失敗して涙する岡本の元に他国の選手が駆け寄り、優勝したかのように担ぎ上げた。4位に終わったが、難度の高い技に挑む姿や、その実力を誰もが認めている証左だった。涙は最後まで止まらなかったが、「とてもうれしかった」と振り返る表情からは、笑顔がこぼれた。