2013年選抜、痛みに耐えて投げ抜き、V候補大阪桐蔭を撃破し、銀傘はもとより、全国の高校野球ファンの感動を呼んだ県岐阜商のエース藤田凌司さん(28)に秘話を聞いた。

 2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載中。そのインタビュー記事をWebで紹介します。電子版ではベテラン記者による振り返り記事、当時の紙面も掲載。電子版はこちらから。「媒体」で「ぎふ高校野球」を選択してください。
死球を受けた右足の痛みに耐えて投げ抜き、大阪桐蔭の3季連続Vを阻止した県岐阜商のエース藤田凌司さん=愛知県大府市
 【藤田凌司(ふじた・りょうじ)】1995年岐阜市生まれ。投手。高校、大学野球指導者の明宏監督の長男。県岐阜商高で親子鷹での甲子園出場を2度果たし、立教大を経て、社会人野球の三菱自動車岡崎で活躍。現在は、各務原市の長谷川整体に勤務。あんま鍼灸(しんきゅう)師の資格取得のため専門学校に通う。

 ―甲子園での岐阜県勢の試合としてはベストゲームだと思います。当時の試合前の気持ちは。

 藤田 初戦の2回戦で若月健矢(オリックス)、楠本泰史(DeNA)らすごい選手がいた花咲徳栄(埼玉)に勝ち、モチベーションは高かったんですが、3季連続優勝を目指す強豪。正直、何点取られるのかという不安はありました。ただ、主軸の森友哉(オリックス)がけがで出られなかったのは大きかった。

 ―実際、初回に2失点。

 藤田 いきなり三塁打、3連打もありました。ただ、パスボールで失点かと思われた場面で三塁走者を本塁でタッチアウトにし、中飛でチェンジ。直後に味方が4点取って逆転してくれ、いけるぞという気持ちになった。

 ―運命の死球は1点差に迫られた六回ですね。

 藤田 高校に入学して初めての死球で確かに痛かったんですが、今、ビデオで見ても照れてしまうほどあえて、大げさにした記憶があります。...