岐阜県高校野球史を代表する豪腕・湯口敏彦さん(故人)を擁し、選抜ベスト8、選手権ベスト4と躍進した1970年の岐阜短大付(現岐阜第一)。3番打者として打線をけん引し、母校の岐阜第一監督も務めた小椋清俊さん(71)に、秘話などを聞いた。

 2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載中。そのインタビュー記事をWebで紹介します。電子版ではベテラン記者による試合の振り返り記事、当時の紙面も掲載。電子版はこちらから。「媒体」で「ぎふ高校野球」を選択してください
選抜8強、選手権4強の躍進を振り返る1970年岐阜短大付の3番打者小椋清俊さん=本巣郡北方町
 【小椋清俊(おぐら・きよとし】1952年、岐阜市生まれ。外野手。岐阜短大付高卒業後、西濃運輸に入社し、社会人野球で活躍。休部に伴い、河合楽器(静岡県)に移籍。93年から岐阜第一高事務職、監督、コーチを歴任。退職後はボーイズリーグの岐阜クラブのコーチも務めた。

 ―選抜でベスト8。ポイントとなった2回戦の強豪天理(奈良)戦を14―5で圧勝。4番の遠藤憲司さんが春夏通じ、今も甲子園記録の1試合4三塁打。小椋さんも本塁打を打っていますね。

 小椋 遠藤の1試合で三塁打4本はなかなか打てない記録。自分はホームラン打者でなく、野手の間を抜いて、足で稼ぐタイプ。練習試合でも打ったことなかった。追い込まれていたがカーブにうまくタイミングが合った。グラウンド一周の感激は忘れられません。

 ―準々決勝北陽(大阪)戦は3―4の惜敗でした。

 小椋 初回に湯口が2ランを打たれるんですが、湯口がホームラン打たれるのって、県大会での県岐阜商の平林(辰郎)君くらい。最後まで追いつけなかった。...