2008年選手権、学校存続問題で揺れる中、秋田和哉監督が率い、4度目の甲子園で初勝利を挙げた市岐阜商。学校初打点を挙げ、歴史を刻んだ主将で中堅手、抑え投手の吉村政俊さん(34)に秘話を聞いた。
2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載中。そのインタビュー記事をWebで紹介します。電子版はこちらから。「媒体」で「ぎふ高校野球」を選択してください

吉村政俊(よしむら・まさとし) 1990年、岐阜市生まれ。主将で外野手、投手。国際武道大では投手。軟式野球の三甲に入社し、外野手として活躍。30歳で現役を退き、監督を務め、4年目。
―どんなチームだった。
吉村 とにかく明るいチームで、個人個人の能力は高く、個性にあふれていただけにまとまれば強くなれると思った。主将として言葉ではなく、一番練習する姿をみせることで引っ張っていくことを心がけた。2年の秋の県大会は3位で東海大会で一つ勝ち、準々決勝で神宮大会で優勝した常葉大菊川(静岡)に2―5で競り負けた。ベスト4で負けた2校がコールド負けだったので、補欠校になったが、あと一歩で選抜にいけなかった。その悔しさがモチベーションになった。
―岐阜大会は4回戦で元中日の伊藤準規擁する岐阜城北との激戦を制した。
吉村 マシンを近づけて145キロくらいのまっすぐを打つ対策をした。伊藤が故障明けでもあり変化球ではなく、まっすぐに絞って攻略した。...