広場の片隅に点在するテントやブルーシート、日用品などをいっぱいに詰め込んだビニール袋の山。岐阜では見えづらかった貧困の実態を名古屋で見つけるのはたやすい。名古屋市中区栄。東海地方随一の商業地を横切る名古屋高速道路の高架下は、そうした場所の一つだ。
一帯は夜間、音楽に合わせてストリートダンスを踊る若者でにぎわう。彼らが躍動する姿と、暗がりで段ボールに座って動かない傍らの人たちの姿は、あまりに対照的だ。大学生の一人が言った。「最初はびっくりしたけれど、今はもう何とも思わなくなった」。街には光と影、喧噪(けんそう)と静寂が共存する。
「この通りだけで70人ぐらいが暮らしてるかな。野宿のメッカみたいなもんだよ」。小さなテントで暮らす小岐須祥次さん(60)=仮名=は笑う。
「本当にいろいろな人がいるね。この間も、二十歳前の男の子が仕事をクビになったって言うから、野宿の仕方を教えてあげたよ」。自分が住んでいるテントの近くに“新顔”を見つけると、炊き出しの時間や場所を教えて回る。「岐阜から来た人もいたよ。40歳ぐらいだったかな。今はアパートに移ったみたいだけど、今どうしているかは分からない」。その人は珍しく、自分の話をよくする人だった。「どこから来たか分からない人が多いし、自分の本名さえ言わない。何かの拍子で親族に伝わって、迷惑をかけたくないからなんだって」。黙して語らず、ひっそりと暮らしている人が多いのだという。
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「ずっと日雇いで、建築とか土木とかの仕事をしとる」。市内の路上で暮らす男性(57)は、炊き出しのカレーライスを頬張りながら言った。「生活保護を受けてたこともあったよ。無低ってあるでしょう、あの安い所。生活保護を元手に、いろんな施設を出たり入ったりしてね」
「無低」とは、受給した保護費を徴収し簡易住居を貸し付ける「無料低額宿泊所」のことだ。岐阜県では、岐阜市内に唯一あった施設が今年4月に撤退した。名古屋市内には同種の施設が50件ある(11月現在)。
「昔のように1部屋を半分に仕切って使わせるなんてこともないし、ちゃんとした個室だったけど、集団生活には違いないから」と規則に縛られるのを嫌い、路上に戻ってきた。「何やっとっても自由でしょ。なかなかこういう生活に慣れるとね、やめれんくなる」。路上生活は通算30年ほどにもなるという。
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高架下のブルーシートや積み上がった日用品は、そこに路上生活者が定住していることを意味する。炊き出し会場でNPO法人「ささしまサポートセンター」(名古屋市)の生活医療相談に携わる中津川市出身の医師早川純午さん(71)は、10年ほど当事者と向き合う中で近年は路上生活者が減ったと実感している一方、「体がそれなりに丈夫なうちは、たばこぐらい好きに吸いたいだとか、自分の好きなように生きられた方がいいと言って路上を離れない人もいる」と懸念する。そして、今なお路上を選ぶ人たちの暮らしが長期化している「要因の根本」として、こう指摘した。「精神疾患や軽度知的障害など、実は心や発達の問題を抱えている人がとても多いんです」
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