昭和の終わり頃、私は岐阜市立の小学校を卒業しました。今はどうだかわかりませんが、当時私の通っていた小学校には修学旅行というものがあり、小学校6年生が京都・奈良の1泊2日の旅行に出かけました。
 そして、旅行から帰ってくると思い出を残すために、全員が振り返りの作文を書きました。
 そして、私を含むあまりにも多くの同級生が「族行記」というタイトルを付けていたのを覚えています。

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 もちろん「旅行記」の書き間違いなのですが。
 「族」と「旅」は見た目が似てますからね。間違えて当然です。

 40年経ってもこの「族行記」事件を覚えているのは、その時恥ずかしかったから、とか先生に怒られたから、といった理由だけではありません。

 この偶然の産物である「族行記」という表現がものすごく印象に残っているのです。この表現に刺激を受け、私の想像力は動き出しました。本来の意図である「旅行記」と重なり合い不思議な意味を持っているように思えたのです。
 何か、ある一団(〇〇族)がどこかをさまよい、冒険を通じて何かを発見したり、刺激を受けたりして学んでいく雰囲気を持っているように感じました。

 本稿は、3歳から18歳まで岐阜で暮らした筆者が、35年ほど岐阜以外の地で七転八倒しながら経験したことを通じて、外から見た我がふるさと岐阜についての森羅万象を書き連ねる「族行記」です。
 少しでも愛すべきふるさと岐阜に恩返しができれば、と今は思っています。

金華山上空から岐阜市街地を望む

 さて、我がふるさと岐阜。
 今を遡(さかのぼ)ること30年以上前。私が上京したばかりの頃の話です。
 その頃学生だった私。所属する水泳部の仲間内で山手線ゲームをやっていました。
 「古今東西 都道府県名」
 なんと単純なゲームでしょうか。
 ゲームは淡々と進んでいきます。1.東京、2.大阪、3.北海道・・・メジャーな名前が出てきます。
 全然、我がふるさと岐阜の名前は出てきません。待てど暮らせど・・・
 そして、岐阜の名前がコールされぬまま47番目にいたります。栄えあるアンカーの座を担ったとある後輩は頭を抱えて悩んでしまいました。
 そしてあろうことか次の瞬間、こう叫んだのです。
 「もう、ありませんよ!」
 よりによって、岐阜をこよなく愛する私の前で。
 彼は数年後、国家公務員試験に合格して経済と産業を管轄する某省のエリート官僚になりました。4年間猛勉強して、平均的岐阜県民なら誰でも知っている知識は備えたのでしょうね。

 他にも、岐阜県出身ではない人と結婚した知人が「相方が、何年経っても岐阜を『阜岐』と書くんです」とぼやいていたなんて話もあります。

 しかしこれらは、ずいぶん昔の話。
 今では、様々な観光資源やリゾート、エンタメや学術・産業振興など各方面に関わる皆様の努力の結果、岐阜の魅力は私が住む東京の人たちにもずいぶん伝わっていると感じます。
 岐阜県の広報の動画発信も魅力ですね。
 もしかしたら県外に暮らす私のような「岐阜族」の方が敏感にその違いを感じているかもしれません。

 これから月に1回を目処に、「岐阜族」ならではの視点でお役に立つ情報をお届けできたらと考えております。
 乞うご期待。

(毎月第1金曜日に掲載します)

Author
 

河野英太郎

(こうの・えいたろう)

Boomi株式会社代表取締役社長CEO、TCI代表取締役、グロービス経営大学院客員准教授、元水泳部主将。 著書:「99%の人がしていない」 シリーズ(共にディスカヴァー21)等 著者累計180万部。 投稿は全て個人の意見。所属を代表しません。岐阜県岐阜市出身。青山中、岐阜北高、東京大教養学部卒。妻&一姫二太郎。経済同友会会員。