
前回の郡上おどり絡みの続きです。少し長くなりますが、お付き合いください。
数年前まで、OKB証券のホームページのトップ画面は岐阜県内の名所、名産、白川郷だったり、和傘だったりの画像を掲載していました。
郡上おどりも郡上八幡観光協会さまから画像の提供を受けドーンと掲載したのですが、その際に関係者の方からいただいた名刺には、大きくこう書かれていました。
「郡上で踊れ!」
この郡上おどり、東京・青山でも年1回開催されます。
ニュースでご覧になった方も多いのではないでしょうか。1994年から始まったのだそうです。
なんでも、郡上八幡を治めていたお殿様が青山氏、そしてその江戸屋敷があったところが今の青山周辺なのだとか。
その郡上おどり、江戸の初期、時のお殿様が、士農工商の隔てなく融和を図るよう、お盆の四日間だけは無礼講で踊ることを奨励した、というのが始まりとされています。
以来、約四百年ですから、時代時代での紆余曲折は想像に難くないところですが、なぜ、そんなに続いたのか。人を引き寄せるのか。

現地での体感もないので、以下は全力の推測込みです。
ご指摘ありましたら、お願いいたします。
まずは、コンセプト、その目的がはっきりしていたこと。
士農工商の立場の違いはあろうとも、地域の平和、安寧のため、という誰にでも受け入れやすい目的、これがはっきりしていたということでしょうか。ですので、いざこざがあった時でも最後はそこに皆が立ち返ることができたという点、これが大きいのではないかと思います。
現代社会においても、社是などを掲げ、困った時には原点に立ち返る、そんな会社組織も少なくありません。
かくいうOKB大垣共立銀行の成り立ちも、士農工商による「共立」が原点でありまして、それが「地域に愛され、親しまれ、信頼される」というグループの理念となって今に至っています。
郡上おどりの400年に比べたら、まだ130年なので本番はこれからですが。
ですので、郡上おどりの継続性は親和性を持って理解できるところですが、あるいは美濃地方独特の文化として、「武士だけでなく、商人だけでもない、融合しようとするあわい」が根付く素地があったのかもしれません。
結果としてというか、理念どおりにというか、郡上おどりは、バリエーション豊かな10種類もの踊りで成り立っています。
つまり、振り付けも10種類あるということです。
「古調かわさき」「三百」「猫の子」「甚句」...









