薄暗い玄関先で、その奥さまは、25歳の証券マンが差し出した名刺の角で頭皮をかきながら、つぶやくように、でもハッキリと、そして何度も言われました。
 奥の部屋からは、ラジオ番組の音が流れていて…。

 「私たちにも補填しなさいよ。不公平じゃないの、大手の法人先ばっかり。」

 それはバブル崩壊後の1991年(平成3年)夏、のことでした。
 証券会社数社による数千億円に達する特定法人顧客への損失補填(ほてん)が発覚、山一證券を含む大手証券の社長・会長が国会に証人喚問されるという前代未聞の不祥事件が起こったのです。

 「財テク」という言葉が駆け巡った1980年代半ば以降、水面下でにわかに広がった「営業特金」と呼ばれる運用スキームが未曽有の不祥事件の温床になったわけですが、その流れを簡単にたどってみると、①大手法人顧客が銀行から融資を受け、②その資金を証券会社が利回りを約束して「営業特金」で運用、③バブルが崩壊して大幅な評価損が発生、④債券取引等での利益のツケカエや不正な簿価操作などで損失を補填、となります。
 もちろん、こんなことはほんの一握り、けれど中核部署で行われていたことで、山一証券の自主廃業の際もそうでしたがヤバい話は地方の営業店、そして現場にはなんら知らされることはありません。

 冒頭の奥さま、先輩の代わりに受け渡し(その頃は「預かり証」を取引の都度交付、回収していた)で訪問し、初めてお会いするお客さまでしたが、おっしゃることはその通りで、返す言葉はありません。
 そもそも投資家の方々にリスクテイクしていただいてはじめて市場が成り立つ、そこで発生する手数料をいただくというのが証券会社の生業であって、本分を自ら汚すという信じられない行為が現実に起こっている、この事態…。
 
◆ラジオから流れてきたのは
 常日頃は、穏やかで優しい方に違いないのですが、この時ばかりは、その奥さまは容赦がありませんでした。...