昭和初期から戦中まであった伊深温泉雅仙樓の外観(渡辺雅子さん提供)
販促品として作られた伊深温泉雅仙樓のマッチ箱
「伊深温泉雅仙樓」と書かれたホーロー看板=美濃加茂市蜂屋町上蜂屋、市民ミュージアム
伊深温泉の資料が見つかった土蔵を指す渡辺雅子さん=5月12日、美濃加茂市伊深町

 昭和初期から戦前にかけて、県内外から観光客が訪れたという岐阜県美濃加茂市伊深町の「伊深温泉雅仙樓(がせんろう)」。旅館の存在を物語るホーロー看板やマッチ箱などが伊深町内で見つかり、一部が市に寄贈された。寄贈した放送作家の渡辺雅子さん(82)=揖斐郡池田町=は「かつて伊深温泉があった事実を地域の歴史として残したい」と話した。

 伊深温泉があったのは、高倉神社東側の川浦川沿いで、向かい側に岩山がそびえる風光明媚(めいび)な場所。現地には伊深まちづくり協議会が建てた標柱がある。

 市によると、伊深の実業家渡辺新一(1881~1958年)が、地元に湧く硫黄泉を鉄管で約2キロ送水して自宅横に引き入れ、1932年5月27日に開業した。一時は関市や愛知県犬山市から直通バスが出るほど盛況だったが、戦争が激化してきた43年に営業中止を命じられ、戦後、本館建物は関市の聚楽荘へ移築された。

 また新一は川浦川にいち早く水力発電所を開設、19年に伊深に初めて電灯をともし、三和や蜂屋、山之上などにも送電したという。

 資料が見つかったのは、築約100年の旧渡辺家母屋と土蔵。新一の孫の一郎さんが住んでいたが、昨夏に他界。一郎さんの弟の妻雅子さんが管理を任され、遺品整理中に発見した。

 縦約90センチ、幅約20センチの旅館のホーロー看板や販促用のマッチ箱といった昭和レトロな品をはじめ宿帳、温泉を引き入れるための鉄管の埋設設計図などの書類や写真などが見つかった。

 旧渡辺家は、建物の一部が損壊するなど老朽化が著しく、補修には莫大(ばくだい)な経費がかかるため、1人暮らしの雅子さんは今年5月、解体処分に踏み切った。

 旧渡辺家に6年間暮らしたという雅子さんは「62年に嫁いだ時には旅館はなかった。義父(新一の息子)の政一さんが屋号の雅仙樓を見せ『雅子は渡辺家に来るべき嫁だった』と言われたのに、家を存続できず、先代たちや親戚、地域の方々に申し訳ない気持ち」と説明する。「市に資料を寄贈したことで、新一の偉業や伊深温泉の存在が後世に伝われば幸い」と話す。

 美濃加茂市蜂屋町上蜂屋、市民ミュージアムの可児光生館長は、伊深温泉の開業当時は、可茂地域の鉄道や交通網が飛躍的に整備されて庶民の観光ブームが到来し、木曽川各所でライン下りが盛んになっていった時期と重なると説明する。「伊深温泉の存在は、可茂地域で観光地開発が盛り上がった歴史を象徴する。市では写真数枚しか所蔵していなかったので、今回の寄贈品はいずれ展示したい」と話す。