王子達杭州市長(右)と碑文を交換する山田丈夫県訪中使節団長=1962年10月、中国・杭州市
岐阜市が所蔵する王子達杭州市長(当時)が揮毫した碑文の原本=岐阜市大宮町、市歴史博物館
日中友好庭園に立つ碑=岐阜市御手洗

 「世世代代友好(何代にもわたって仲良く)」。岐阜市の日中友好庭園に立つ碑は、同市と中国・杭州市が誓い合った「日中不再戦」の証し。1962年に両市長の揮毫(きごう)文を交換し、それぞれの地に相手の文言を彫った碑を建立した。国交正常化の10年前、国家間に先駆けた「岐阜発」の交流活動だった。今年で碑文交換から60年。中国側から手渡された碑文原本の書が岐阜市に残されており、先人たちの思いを今に伝えている。

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 「中日両国人民世世代代友好下去」。王子達杭州市長=当時=が揮毫した碑文原本は、表装され、岐阜市歴史博物館(大宮町)で大切に保管されている。縦約1メートル40センチ、横約65センチの書は、力強くも優しい筆致。半世紀以上前に、不再戦の気持ちを形にしようと奔走した岐阜の先人たちの意志と、中国側の平和への願いが詰まった日中友好の“原点”だ。

 碑文交換式は62年10月9日に杭州市で行われ、松尾吾策岐阜市長=同=が揮毫した「日中不再戦」の書と、杭州市長の「中日両国人民世世代代友好下去」が取り交わされた。岐阜日日新聞(現岐阜新聞)の記事などによると、碑文交換は松尾市長らの提案で実現。山田丈夫岐阜日日新聞社長=同=を団長に、岐阜の各界でつくる県訪中使節団が、松尾市長の揮毫文を持参すると、杭州市長は「アジアの平和構築のため」と歓迎した。翌年、岐阜公園外苑(現日中友好庭園)と、杭州市の柳浪聞鶯公園にそれぞれ碑が建立された。

 国交正常化の10年も前のこと。その意義について、県日本中国友好協会関係者は「両国の懸け橋第1号と言えるのではないか。当時の国際情勢は国家間ではまだまだ難しい状況で、中央ではなく地方都市から、小さなところから大きな風穴を開けようという動きだった」と振り返る。

 自叙伝「松尾吾策回顧録」によると、72年の日中国交正常化の際には、中国側から田中角栄首相=同=に「国交回復は10年前に岐阜とできている」と、両市の不再戦の碑について紹介されたという。

 交換して持ち帰った碑文原本の書は、訪中団メンバーで元岐阜市議の故松尾孝和氏が預かっていたが、2002年に市に寄贈された。実はこの碑文の文言は、周恩来首相=同=によって考えられたことが、元中国外務省幹部の話で明らかになっている。

 ロシアがウクライナに侵攻するなど、今も世界では争いが絶えない。碑文交換60年の節目を迎え、岐阜市国際課では「改めて岐阜から日中友好を見つめる機会にしたい」としている。