岐阜城北の秋田和哉監督は、20年間監督を務めた前任の市岐阜商を常に岐阜県上位の強豪にし、2003年と08年の2度、夏の甲子園に導き、08年に同校甲子園初勝利を遂げた。20年に転任した岐阜城北でも24年夏にV候補を次々に撃破し、自身3度目の甲子園に導いた。初戦で延長十一回のタイブレークの末、智弁学園(奈良)に惜敗したが、激闘は県民の記憶に新しい。母校県岐阜商が原点の秋田監督の独自のチームづくりや選手育成方法を聞くインタビューの第1回は、県岐阜商から名城大を経て、教員となり、母校に赴任するまでの歩み、野球との出会いについて聞いた。

 秋田和哉(あきた・かずや) 1968年、岐阜市生まれ。内野手、捕手。県岐阜商3年時に夏の甲子園に出場。名城大に進み、1年から出場、4年時に主将も務めた。岐阜県で教員になり、母校の県岐阜商副部長、中濃(現関有知)監督を経て、99年に市岐阜商に転任し、翌2000年から監督。03年と08年に2度甲子園出場し、常に県上位の強豪校を築く。中神拓都(元広島)らを育てる。20年から岐阜城北に転任し、監督。24年に甲子園出場を果たした。4人の息子も高校球児で長男千一郎(市岐阜商出)、四男和佳(岐阜城北出)とは親子鷹で甲子園を目指した。

 ―野球との出会いは。

3度甲子園に導いたチームづくりや選手育成について語る秋田和哉監督=岐阜城北高

 秋田 友達が父親と野球をしていて、声をかけられたのが、野球を始めるきっかけ。小学4年生の時に、岐阜市の長森南スポーツ少年団に入ったが、選手が多くA、B、Cチームまであった。プロ野球選手では、長嶋茂雄さんは引退した後だったので、王貞治さんに憧れ、プロ野球選手になるのが夢だった。

 中学は長森中で野球部に入ったが、二つ上が強かった。長良高の監督の服部幹和先生と、バッテリーを組んでいたピッチャーの堀秀弘さんの2人は県岐阜商に行って1年から甲子園のベンチに入った。阿部真明さんも3年の甲子園に出ており、3人が県岐阜商で活躍した。さらにその上には県岐阜商2009年のベスト4の主軸江崎秋馬のお父さんの昌規さんがエースで甲子園に出ている。先輩たちの姿に憧れ、県岐阜商を目指した。

 ―子どものころ最初に甲子園に行き、高校野球を観戦したのは?

 秋田 1981年、岐阜聖徳の現監督の棚橋祐司さんの時。...