27日に執り行われる安倍晋三元首相の国葬を巡り、世論が揺れている。ただ、国葬は過去にも例があり、戦後初の国葬は同じく元首相の吉田茂氏で、いまから55年前の1967年10月31日のことだった。どんな様子だったのか。当時の本紙を振り返った。

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吉田茂元首相の国葬を1面トップで報じる岐阜日日新聞(現在の岐阜新聞、1967年11月1日付)

 吉田氏国葬の翌日、11月1日付本紙朝刊(当時は岐阜日日新聞)。1面トップで「4万余人が献花の列 清そに吉田元首相国葬 白菊の中、遺影ほおえむ」(原文ママ、以下同じ)と報じ、おなじみの吉田氏の遺影と日の丸が掲げられた国葬の全景写真が大きく紙面を陣取った。

 国葬は、東京・日本武道館で執り行われた。国葬当日の31日朝夕刊と翌1日朝刊から主な記事を抜粋し、現場の雰囲気を読み解く。記事は、共同通信からの配信だろう。

吉田氏の遺骨が神奈川県大磯町の自宅を出たことを伝える夕刊(同、67年10月31日付)

 吉田氏の遺骨は午後0時25分、神奈川県大磯町の自宅を海上自衛隊音楽隊などの吹奏に包まれながら、日本武道館に向けて出発した。国道1号沿いには「小、中学生や老人クラブの人々など地元大磯町民約二千人が並び、軒並みに掲げられた弔旗の下で葬列を見送った」

 日本武道館には「天皇、皇后両陛下のお使い、皇太子ご夫妻ら各皇族、七十三カ国の外国代表をはじめ、全国の政、官、財、学術、文化、芸能各界から招かれた約六千五百人が参列」した。一般弔問者も「約三万五千人が夕やみ迫る場外まで列をつくり、霊前に白菊をささげた」

 とはいえ、当時も国葬を巡って意見が対立していたようで、例えば野党は、社会党議員の大半が欠席したといい「国会議員席にはポッカリ二百人分ほどの席があいて『画竜点セイを欠いた』感じになった」とある。特に「社会党は勝間田委員長が急に欠席、河野副委員長が代理した。このため野党の党首で献花したのは、〝バカヤロウ〟解散の民社党の西村委員長だけ」。勝間田委員長は、突如予定を変更して新潟の参院補選の応援に向かったが、記事では、吉田氏が死去した時に「国民の心のよりどころだった」と発言したことが党内で問題化。その影響があったとみている。