Q.岐阜市方面から安八郡安八町、大垣市を結ぶ県道岐阜垂井線をよく使います。途中、長良川に架かる長良大橋と、揖斐川に架かる揖斐大橋を通ると、重厚な橋の趣に歴史を感じます。よく見ると両方の橋はそっくりです。どちらも古い橋だと思いますが、橋ができた経緯などの歴史を知りたいです。(大垣市・40代男性)

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1933年完成、鉄道供用は頓挫

A.県などの資料によると、どちらも長さが約385メートル、幅は約14メートルで、鉄道と道路が通る併用橋として1931年に着工、33年に完成。ほぼ同じ設計で同時に建設されたと分かります。これらは当時の県による大事業の一環でした。世界恐慌による不況を受け、県は失業対策として現在の県道岐阜垂井線に当たる国道の改修を計画。岐阜と大垣間の約13キロを対象に、道路改良や橋の架け替えを3年計画で一斉に進めたため、同時期に誕生しました。

 どちらの橋も曲弦ワーレントラスという形式で、同じ県の技師が設計しています。65年には鉄道が通る予定の部分は覆われ、車道に転用されてほぼ今の姿になっています。鉄道が通る予定だった橋の南側を支える桁が高いなど、今も名残が確認できるそうです。

 なぜ鉄道が通らなかったのか。88年5月12日付の岐阜新聞「幻の岐垣鉄道 建設半ば、2鉄道橋 自動車対策、道路に変身」の記事によると、大正から昭和にかけ、省線(現・JR)とは別に岐阜と大垣を結ぶ鉄道計画が浮上し、鉄道会社が県の道路改修に参画。鉄道開通を見越した併用橋が先に完成したものの、会社の経営悪化や日中戦争など戦局悪化で鉄道敷設は頓挫。戦後、モータリゼーションの波を受けて道路転用されたということです。約90年、人々の生活を支えた2つの橋は土木学会の土木遺産に選ばれており、先人の技術を今に伝えています。