「僕は古里が嫌いだった」。人々の生活をスクリーンに描く記録映画監督の今井友樹さん(43)=岐阜県加茂郡東白川村出身=の口から出た言葉は意外なものだった。今井さんは現在、東白川村で目撃情報の多い幻の生物「ツチノコ」の記録映画を制作している。古里嫌いの青年が、なぜ生まれ育った場所の風景や人々の営みを追いかけるようになったのか。同村出身の記者が古里への思いを聞いた。
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つちのこ資料館に展示されているツチノコの模型=岐阜県加茂郡東白川村、つちのこ資料館
出身地はあの「ツチノコ村」
今井さんは1979年、東白川村で生まれ、映画好きの父の背中を見て育った。ときは1989年、今井さんが10代のころ、村は地域創生ブームに乗り「第1回東白川村槌(つち)の子捜索大作戦」と題したイベントを開始した。当初ツチノコ発見時に懸けられた賞金は100万円。幻の生物を村総出で探す奇妙な祭りはやがて全国で話題になり、県内外から観光客や報道関係者が詰めかける大イベントとなった。「僕の目には、村に住む大人も、村の未来も、すべてが輝いて見えた」
一方で、県外の人に出身地を聞かれ「お茶が有名」「白川村ともう片方の村」と説明しても通じないことが多かった。「ツチノコの村」と絞り出すように説明すると、「あぁ、あの村ね」とやっと伝わった。「ツチノコなんていないのに」。年を重ねるごとに、ツチノコを売りにする村が嫌いになっていった。青年になった今井さんの目には、村が小さく映って見えた。
夢を追いかけ上京
高校を卒業し、幼少期からの夢だった監督の夢を追いかけ上京。2001年に日本映画学校(現日本映画大学)に入学した。「映画を作るには、まず人を知ることから」。人間研究の授業では、映像を使わずに、写真と録音機だけを使って対象者を取材するという課題が出された。今井さんは取材対象に祖父母を選んだ。
祖父母が語ったのは、満州での過酷な生活だった。教科書には載っていない生々しい戦争の姿が、2人の記憶の中にあった。「僕は祖父母にとって、たった数年だけの存在なんだ」。自分が生まれたルーツを知らずに「東京東京」と言い、田舎を毛嫌いしていた。「そんな自分が恥ずかしかった」と振り返る。







