俳優木村拓哉さんが織田信長役を演じ、27日にいよいよ公開される映画「レジェンド&バタフライ」。劇中にも登場し、天下統一を目指した信長が拠点としたのが「難攻不落」の異名を取る岐阜城だ。天守閣は金華山山頂にそびえ、東西南北を広く見渡すことができる。急斜面の上に建ち、ぱっと見にも攻めにくそうだが、イメージとは裏腹に何度か落城している。言葉通り、「難攻不落」だったのか。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」落城回数は「不明」
そもそも、何回落城したのか。中世以降でカウントしようと調べてみたが、明確に回数を示す文献などは見当たらなかった。インターネット上では6回や7回と書き込んでいる人も。広辞苑には「敵に城を攻めとられること」とあるが、捉え方や当時の記録が残っているかなどで解釈は人それぞれ異なるようだ。
頼るべきは専門家。城郭考古学者で奈良大教授の千田嘉博さん、滋賀県立大名誉教授(日本城郭史)の中井均さん、金華山の発掘調査にも関わる岐阜市文化財保護課の内堀信雄さん、市民有志団体「岐阜お城研究会」代表の柴田正義さんに見解を聞いてみた。
「稲葉山城の戦い」と「岐阜城の戦い」
4人が共通して挙げた岐阜城落城は2回。一つが1567(永禄10)年に信長が斎藤道三の孫・龍興を打ち破った攻城戦(当時は稲葉山城)。もう一つが、関ケ原合戦の前哨戦となった1600(慶長5)年の「岐阜城の戦い」。福島正則や池田輝政ら東軍部隊が、信長の孫・秀信が守る西軍の岐阜城に総攻撃を仕掛けた戦いだ。「この二つはガチの戦い」と柴田さん。落城の言葉の意味ともピタリと当てはまる。
他に4人の間では、1564(永禄7)年に龍興の家臣だった竹中半兵衛が十数人で城から追い出したとされるクーデター要素の強いものや、本能寺の変の翌1583(天正11)年に、豊臣秀吉の軍勢に岐阜城が包囲され、信長の三男・信孝が投降した戦いが挙がった。回数に違いはあるが、何度も落城したのは間違いない。では、本題。岐阜城は「難攻不落」なのか。
「難攻」で見解一致
「難攻不落ではない。落ちてますからね」とは中井さん。少なくとも4度落城しているとみる。「不落」の言葉はそぐわないと考えるが、こうも続けた。「攻められなかったら落城することはないし、普通の城でこれだけ落城する機会もない。岐阜がそれだけ重要な地点だったという証拠」
中井さんによれば、全国には年代や大小、造りにかかわらず3、4万の城があったという。「戦場になったのは恐らく2割ほど。8割は廃城まで戦いがなかった」と説明する。複数回、戦いの舞台になること自体が珍しいのだ。
難攻不落について他の3人は、「その通り」という趣旨の回答。誤解がないよう、中井さんも「攻めづらいのは間違いない。単純な山登りでも金華山は登りづらいぐらいだから。当時は大変な城攻めだったと思う」。「難攻」という意味では、全員の考えが一致した。








