来年1月27日公開の織田信長と正室濃姫(帰蝶)の生涯を描いた映画「レジェンド&バタフライ」。俳優木村拓哉さん演じる信長が居城した岐阜城から北西を見渡すと、住宅地の中にぽつり。金華山の5分の1ほどの標高約68メートルの「鷺山」が見える。岐阜市民にとっては身近な山で、伝承では濃姫ら有力者が住んだと伝わる鷺山城があったとされる。改めて山や城について調べてみると、歴史ロマンにあふれていた。(玉田健太)
住宅地の中にぽつりとそびえる鷺山=岐阜市
かつては小学校も山の上に
そもそも鷺山は、かつて1・5~2倍ほどの大きさがあったという。今は山の北にある地元の鷺山小学校も以前は山の上に建っていた。1960年代に名神高速道路などの盛り土の材料のため山の一部が削り取られたという。
城については謎が多い。付近の発掘調査に携わったことがある市文化財保護課の内堀信雄さん(63)によると、築城時期や居城した人物は諸説ある。当時の記録や文献といった資料が見つかっておらず、江戸時代以降の軍記など伝承ばかり。内堀さんは「ただ、何もないところに伝承は生まれないと思う」と話す。
美濃国諸旧記に「鷺山殿」の記述
その伝承では、居城した人物に有力者の名前が挙がる。「美濃明細記」によれば、鎌倉時代に佐竹秀義が築城。その後は美濃守護土岐頼芸(よりのり)や、息子の義龍に家督を譲った濃姫の父・斎藤道三が隠居したといわれる。
濃姫が居城した手がかりは、「美濃国諸旧記」に出てくる。道三が隠居後、濃姫は信長のもとに嫁ぎ、「帰蝶の方といふ。又鷺山殿ともいふ」(原文ママ)という記述がある。濃姫が鷺山にいた可能性を示している。道三が隠居した時に親子で一緒に移り住んだ可能性もあるそうだが、想像の域は出ない。
城の造りも明らかではなく、山上に城跡を示す遺構はない。岐阜城のように石垣を組んだ立派な天守があったとは考えにくい。内堀さんも「見張り台があった程度」と推察する。
鷺山城東山麓にあったとされる館の推定図(岐阜市提供)
山の東麓に巨大な館跡
謎は多いが、過去の調査では、山の東に館が存在した痕跡が見つかっている。驚くべきは推定されるその大きさ。麓の北野神社境内を中心とした辺りで南北に200メートル、東西に150メートルほど。「でかい」
土塁や堀の一部痕跡は実際に発見されており、土塁は神社境内から北に続く道を歩いてすぐの所で、確認ができる。堀は幅約20メートル、「深さは3メートル以上。深すぎて分からなかった」と内堀さん。「館の大きさは全国的に見てもかなりの規模。相当な有力者が住んでいたことは推測できる」と説明する。土岐氏や道三がいたとしても十分うなずける。
鷺山から東を一望できる高台
鷺山を登ってみた
内堀さんの案内で、山を登ってみた。登山口は何カ所かある。今回は居館があったとされる東麓の「鷺山公園」からスタート。歩き始めて間もなく、見晴らしの良い高台に着いた。山の東を望むことができ、金華山や山頂の岐阜城も小さいながらに見える。過去の発掘調査などで、眼前一帯にはかつて土岐氏の城下町があったと考えられている。
山頂付近、眺め抜群
山頂に向け、再出発。道中の遊歩道は整備されていて登りやすく、迷う心配もない。標高が標高だけに10分足らずで、山頂付近に着いた。あずまやがあり、雑木なども伐採されていて見晴らしがいい。
地元の自治会連合会が設置した説明板があり、歴史に疎い人にも親切だ。ここからも岐阜城が展望できる。頼芸や道三、濃姫も同じ景色を見ていたのだろうか。想像は膨らむばかりだ。
鷺山の山頂。石碑と説明板があるが、城の面影はない
山頂に城の面影なし
山頂には話通り、城の面影はない。石碑が建ち、それが目印。隣には内堀さんが発掘調査で明らかになったことをまとめた説明板もある。そこにも「内部構造や存続期間などは分かっていません」と記されているが、内堀さんは「今後、濃姫や道三が居城したことを示す証拠が見つかる可能性もある。調査、研究を進めることが必要」と世紀の大発見に期待を込める。
鷺山の山頂付近から見える景色。岐阜城を望むこともできる
約1時間で散策お手軽
登山を含め約1時間ほどで一帯を散策できた。岐阜市出身の記者。身近すぎる故に気にかけてこなかったが、想像以上に深い歴史に触れることができた。まさに〝灯台下暗し〟だった。
美濃国を治めるための拠点となり軍事要塞(ようさい)だった岐阜城とは、また違った印象を受ける鷺山城。当時の武将らはどんな思いで過ごしていたのか。一度歩いて、その心情に思いを巡らせてみてほしい。








