「ぎふ信長まつり」で織田信長役を務めた木村拓哉さん=2022年11月、岐阜市金町
結婚事情についての座談会に出席した皆さん=岐阜新聞社本社

 1月27日に公開になった織田信長とその正室・帰蝶の人生を描いた映画「レジェンド&バタフライ」。帰蝶から離縁を申し出るシーンがあり、記者は驚かされた。漠然とだが、当時は今以上に女性の立場が弱いと思っていたからだ。戦国武将の妻に限らず、当時、女性から離縁を申し出るなんてことがあったのだろうか。調べてみると、庶民の女性については比較的自由度が高く、女性からの離縁も一般的だったようだ。

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「ぎふ信長まつり」で織田信長役を務めた木村拓哉さん=2022年11月、岐阜市金町

信長は側室12人、子どもは23人

 まず戦国武将やその家族について調べると政略結婚が当たり前。息子や娘らを結婚させることで敵になりそうな武将と縁戚になり、戦わずに自分の領地を守る。常に領地が狙われている状況での結婚のため、そうなるのは納得できる。信長と帰蝶も政略結婚で、映画でもそう描かれている。結婚の目的が領地を守るためだから、自由意志で離縁なんてことは男側からも女側からも考えにくい。

 では信長自身はどうだったのだろうか。実は政略結婚をしたのは正室の帰蝶だけのよう。側室は12人ほど知られているが、いずれも大した大名や武将の娘でない女性を側室にしている。夫を亡くした女性の美貌にひかれて側室にしたり、子連れで夫を亡くした女性に同情して側室にしたりと、自由に自分の意志で側室にしているケースが多かったようだ。

 一方、自分の兄弟姉妹や子どもたちとなると、まるで政略結婚の道具のような扱いだ。冷徹な印象がある信長らしいと言える。有名なところでは、妹のお市を浅井長政に嫁がせ、養女を武田勝頼に嫁入りさせている。また徳川家康との同盟のため、家康の長男の信康に次女の徳姫を嫁がせている。信長には娘11人、息子12人の計23人と多くの子どもがいたが、子どもたちを政略結婚にうまく役立てている。当時は信長のように子どもたちを政略結婚に使うのが、むしろ普通だったのだろう。
 

「しばしば妻が夫を離別する」

 では庶民ではどうか。調べてみて驚いたが、結構自由。ポルトガルの宣教師で戦国時代に日本を訪れて多くのルポを残したルイス・フロイスの著作「日欧文化比較」を当たった。フロイスは信長や豊臣秀吉らと会見し、戦国時代研究の貴重な資料となる「日本史」も書いている。「日欧文化比較」も信頼性は高い。

 「日欧文化比較」によると、「(ヨーロッパでは)夫が妻を離別するのが普通である。日本では、しばしば妻が夫を離別する」との記述がある。なんと。女性から離縁することがあるとはっきり書かれているではないか。ほかにも「ヨーロッパでは、罪悪については別としても、妻を離別することは最大の不名誉である。日本では意のままにいつでも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる」と書いてあったり、「ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける」との記述があったりする。

 つまり、当時の日本は、ヨーロッパに比べれば結婚が比較的自由で、かつ財産まで個人で持っていたことになる。いわゆるバツイチになっても女性は再婚が自由。現代みたいに、バツイチになってから急にモテる女性もいたかもしれない。
 

現代の女性の結婚観は?

 では現代の女性たちは、結婚についてどう思うのだろう。岐阜地域と西濃地域の女性5人に集まってもらい、結婚観を聞く座談会を開いた。レジェンド&バタフライを契機に調べたのだから、せっかくなので信長を演じた木村拓哉さんのファンに語ってもらおうと、50~60代の〝キムタク愛〟にあふれる人たちに集まっていただいた。

 

 以下は座談会の発言の要旨だ。

浅野
現代だと、親が話を持ってくるお見合いが政略結婚みたいになるんですかね。お見合いだと相手の素性が最初から分かっているので、恋愛とかしやすいはしやすいんだけど。今、お見合いにしてくださいっていう若い子はいないと思う

野田
(当時は)側室がいるのは仕方ないかな。今と昔は違う。正室に男の子が生まれないと側室にとなる。仕方ないことだと思う

浅野
(夫がキムタクだったとしても側室は)絶対にばれないようにしてほしい。さらに本妻(である私)の家庭を一番大事にしてもらって、至れり尽くせりだったら側室がいてもいい

 現代と同じく、庶民であれば女性から離縁も自由にできた戦国時代。自立した女性もいただろう。「側室がいるのは仕方ない」とか「夫には、私に絶対にばれないようにやってほしい」とか当時の女性も現代の女性同様に話しあってたのかもしれない。