暗闇の向こうからヘッドライトが迫り、1台の大型バスが駐車場に滑り込んだ。カーテンは閉ざされ、運転手は白い防護服姿。待ち構えた医師や看護師も感染対策でビニール製の長袖ガウンをまとっている。
2020年2月18日午後8時50分。岐阜市長良の国立病院機構長良医療センターに降り立ったのは、船内で新型コロナウイルスが猛威を振るったクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス(DP)号の乗船客で、集団感染した712人のうちの8人だった。
感染を広げないため、横浜港からノンストップで走ってきたという。降りると、すぐさま4~5人が近くの治験管理棟のトイレに駆け込んだ。国内で感染は市中に広がっておらず、県内では初の新型コロナ患者の受け入れだった。
「まさか自分が関わることになるとは」。予診を担当した医師の小松輝也(48)は4日前、出張先の横浜市で、夕刻の港に浮かぶDP号をたまたま見かけていた。コロナ対応が報告された日本環境感染学会に出席するため、院内の感染管理チームの4人で訪れていたからだ。
水際作戦で市内は緊張し、中華街は閑散としていたという。そして、戻っていきなり本番を迎える。
午前中に送られてきた患者リストの記載は国籍、氏名と年齢ぐらいで、一から診察をやり直す必要がある。発熱が2人、せきは3人。いずれも軽症か無症状と聞いていたが、酸素飽和度を測ると89%の中等症が1人いた。
直前の学会で示された感染経路は「飛沫(ひまつ)および接触」。発生地の中国では医療従事者も亡くなっている。目の前で激しくせき込む姿を見て、小松自身も感染の不安がよぎった。
長良医療センターは413床で中規模ながら、前身の一つの岐阜病院時代から結核病棟があり、呼吸器疾患や感染症に強みを持つ。今回は災害対応が法で定められた国立病院機構の本部の手配を受けたものだった。
国から県に要請があった形を取り、受け入れに当たっては病院名を公表しなかった。一義的には風評被害を防ぐためだが、当時院長の山田堅一(71)は「他の病院の手前、目立ってもいけないし、国立病院機構のミッションも果たさないといけない。バランスを取った」と説明する。
患者たちは、前日に急きょ開設された中央棟6階のコロナ病棟にエレベーターで案内された。60~70代で、3人は外国人。一様に疲れ、戸惑いの表情を浮かべている。船からの荷物の持ち出しが許されず、手ぶらに近い状態だった。
ガウンに帽子、マスク姿で診察室や病室に案内した副看護師長の植松あゆみ(43)は「気分はどうですか」「長い移動で大変でしたね」とねぎらった。未知の感染症への不安はもちろん、自分がどこにいるかさえもよく分かっていない様子だった。
「まだ、私たちにも分からないところがあった。安易に『大丈夫』と言えず、『不安ですよね』と同調するしかなかった」。看護の仲間も皆、同じ思いだったという。
各病室で全員のレントゲンを撮り、診察が終わったのは日付が変わる頃。新型コロナの市中感染に先駆けた手探りの受け入れが、ひっそりと始まっていた。(敬称略)
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新型コロナウイルス感染症の県内での感染者の初確認から26日で3年を迎えた。長いトンネルのようなパンデミック(世界的大流行)を経て、5類移行でコロナ前の暮らしの回復が見込まれる中、原点になった受け入れの緊張感を振り返り、ウィズコロナ時代の心構えを考える。