各務原市中心部に位置する航空自衛隊岐阜基地=2020年11月、各務原市(本社契約ヘリから撮影)
多くの航空機を展示する岐阜かかみがはら航空宇宙博物館=各務原市下切町

 岐阜県各務原市の中心部に横たわる長さ約2・7キロの航空自衛隊岐阜基地の滑走路から飛行機が翼をきらめかせて飛び立っていく。「航空機のまち」の日常風景だ。各務原は、この現存する日本最古の飛行場と、それに伴って集積した航空機産業を近代化の足がかかりに、県内屈指のものづくり都市へと発展してきた。

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 アメリカのライト兄弟が人類初の動力飛行に成功してから14年後の1917年、旧陸軍の各務原飛行場は開設された。各務原が選ばれた理由は、平らで障害物のない見晴らしのよい場所であったことや、偏西風を航空機の揚力に利用しやすい東西に長い土地であったことなどといわれ、滑走路とするのに都合がよい環境があった。

 この場所は市中央部に広がる標高20~60メートルほどの「各務原台地」で、市の特徴的な地形だ。大きさは東西11キロ、南北4キロで、市域の約2割を占める。台地は滑走路の環境としては良好だった一方で、台地の表層は酸性土壌の黒ボクに覆われ、砂質で水持ちが悪いことから、農業には向いていなかった。

 「此野に田畠なし。ただ青草のみ生ず」。江戸時代の儒学者・貝原益軒は著書「岐蘇路記(きそじき)」で、当時の台地をこのように記している。そんな手つかずの原野で何もなかった土地だったが、飛行場の開設によって様子は一変した。軍の施設だけでなく、民間の航空機関連の工場が相次いで建設され、工場の従業員やその家族の移住で急激な人口増加が起こった。それに伴い、道路や学校、病院などのインフラが整えられ、今の市街地の祖型となるまちづくりが進んだ。現在の市にはJR高山線と名鉄各務原線が東西に通り、市内には10キロほどの範囲に16の鉄道駅があるが、これも飛行場ができたことによる産物といえる。

 空宙博(そらはく)の愛称で親しまれる岐阜かかみがはら航空宇宙博物館(下切町)では、各務原飛行場での航空機開発の歴史に触れることができる。各務原で最も多く製造された三式戦闘機「飛燕(ひえん)」をはじめ、各務原で初飛行したゼロ戦の試作機の十二試艦上戦闘機、低騒音STOL(短距離離着陸)実験機「飛鳥」といった、この地ゆかりの航空機などを数多く展示している。

 ある意味何もない土地だったからこそ飛行場がやってきて、現在につながるまちづくりと産業の基盤ができた。市文化財課の職員は「もし飛行場が造られなかったら、今の各務原はどんな町になっていたか。容易には想像できない」と話す。

 市によると、2020年の市の製造品出荷額等は約7214億円で県内1位。産業分類別でみると、航空機や自動車などを中心とした「輸送用機械器具製造業」が半数以上を占めている。市は02年から19年連続で県内トップを走り続けており、市産業活力部の村瀬誠部長は「各務原に集まってきた多くの人の力で成し遂げられている。誇りに思う」と語る。

 1963年に稲葉郡那加町、鵜沼町、蘇原町、稲羽町が統合して誕生した市は今年で市制施行60周年を迎えた。浅野健司市長は「先人の方々に感謝をしながら、各務原らしい新しい歴史を積み重ねていきたい」と飛躍を誓った。