岐阜市のシンボル「岐阜城」。鉄筋コンクリートの現在の天守閣は1956年7月25日に落成し、間もなく65年を迎える。当時の再建工事の設計図とみられる青焼きの転写図と工事内訳明細書が、岐阜市東金宝町の建築設計事務所「司設計」から見つかった。そこには、当時の耐震技術や金華山の頂に城を造るための工夫が記録されていた。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」岐阜城は市民から建設費用を募り、55年10月に着工した。見つかった内訳書には、工事費計2200万円と記載されている。同社の先代が再建工事に携わったといい、今春、旧社屋を取り壊す際に発見した。
設計図は0~18の番号が振られた19枚。右上に昭和30年8月または9月の日付と、手書きで「岐阜城再建工事」と記されている。天守閣の断面、梁(はり)の配置など、それぞれに異なる図面が描かれている。
1級建築士でもある細谷典敬社長によると、架構図から「天守の骨格となる柱は上層階ほど細くなっており、上部を軽くして地震の揺れを軽減させようとしていることが分かる」という。さらに土台の部分に注目。基礎が深く掘られ、「岩の上に直接基礎を建て、地盤と城の基礎部分を一体化している。山の上に城を造るために、研究しながら工夫して建設されたことが伝わってくる」と語る。
設計図は社で大切に保管したいとし、「岐阜城の歴史を後世に伝えていくために何か役立てられれば」と話している。










