菊池涼介との思い出を笑顔で語る中京学院大の近藤正監督=6日午後、瑞浪市西小田町
ドラフト指名後の記者会見であいさつする菊池涼介(右)。左は近藤正監督=2011年10月(近藤監督提供)

 正式競技となった1992年のバルセロナ五輪以降、初の金メダルを目指して7日に米国との決勝を戦う野球の「侍ジャパン」。"忍者"と表現される世界を魅了する守備はもちろん、打線では数少ない小技ができるいぶし銀の選手として戦っているのが中京学院大出の菊池涼介(広島)だ。大学時代、その能力を開花させ、一流選手への基礎をつくった同大硬式野球部の近藤正監督(73)=瑞浪市西小田町=は「ぜひ優勝してほしい」とその瞬間を心待ちにしている。

 171センチ、68キロ。決して恵まれた体ではないが、菊池が一躍脚光を浴びるようになったのが、プロでも右に出る者はいない守備範囲の広さ。これまでの国際大会で何度も日本の窮地を救い、今では代表になくてはならない存在となっている。

 この守備力を開花させたのが近藤監督だ。大学入学時も周りと比べればひときわ小柄だったが、近藤監督はプレーを一目見ると「身体能力が高く、身長が小さいハンディを感じさせなかった。必ずこの子はプロに行く」と確信。元々は三塁手だったが、その身体能力を生かすために1年夏に遊撃手へ転向することを勧めると、菊池は「僕もその方がいいと思ってました」と即答したという。

 「遊撃手をやらせたら、今まで眠っていた才能が開花するように日に日に上達していった」と近藤監督。打者としても岐阜リーグで三冠王を獲得するなど小柄ながらパンチ力があり、練習場の外野ネットを越えていくこともしばしば。練習場の近くには保育園があるため、「子どもたちが帰る時間は菊池は打撃練習を禁止にした。ネットを越えていく選手はいまだに菊池ぐらい」とうれしそうに当時を振り返る。

 東京生まれの菊池が岐阜で過ごしたのは大学時代のわずか4年間。だが今でもオフには近藤監督の自宅を訪れるといい「平成生まれだが、そういうところは昭和の男。やんちゃっぽく見えるけどしっかりした男だ」。毎年のように「けがなく1年戦って」と声を掛けるのが決まりのようになっていたが、ここ数年は新型コロナウイルス感染症の影響で会えていない。それでも「いつも気に掛けている」と菊池の活躍は常にチェックし、五輪の戦いも全てテレビ観戦している。

 菊池はここまで3試合でスタメン出場し、堅実な守備などで勝利に貢献している。「スター選手の中で渋い活躍が光っている。野球はこういう選手が必ず必要。いつの間にか代表を引っ張る存在になっていて、うれしい」。残すは金メダルを懸けた決勝のみ。「優勝したら真っ先に電話してあげたい」と誰よりも教え子の活躍を期待しながら、テレビの前で声援を送る。