1975年、3年連続出場の選手権で、3試合連続2桁安打でベスト8に進出した中京商(現中京)。強打のチームの1番打者で、後に母校監督として名門復活を果たした小嶋雅人さん(66)に秘話を聞いた。

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1975年選手権中京商の1番打者としてベスト8にけん引した小嶋雅人元同高監督=多治見市
 小嶋雅人(こじま・まさと) 1957年、多治見市生まれ。亜大で活躍し、母校の教員となり、硬式野球部を指導。監督も務めたが、一時部を離れ、軟式野球監督として4年間で2度、全国選手権優勝。1997年に監督復帰し、名門を復活させ、春夏4度、甲子園に導く。松田宣浩、城所龍磨(ともに元ソフトバンク)らプロ選手も多く育てる。仏教大、宝塚医療大でも監督を務めた。現在は中津恵那リトルシニアでアドバイザーを務める。

 ―岐阜大会決勝で戦後最多得点の17―0(岐阜第一)で3連覇。1番打者として甲子園でも強打のチームをけん引した。

 小嶋 秋まで3番で、弾丸ライナーが持ち味。足が速いわけでも、小技がうまいわけでもなかったが、...