高校野球の名門、県岐阜商硬式野球部の鍛治舎巧監督(73)が8月末で勇退する。具体的な数値を目標に掲げ、選手の能力を最大限に高める独自の育成法や、完投能力を持った複数投手による継投制の確立、他校をはるかに上回る強打を実現させた低反発バット対策など、岐阜県高校野球のレベル向上に果たした鍛治舎監督の貢献は計り知れない。6年5カ月の母校監督としての歩み、県全体への影響、退任に当たっての思いに迫った。

6年5カ月母校県岐阜商の監督を務め、岐阜県の野球レベルを高めた鍛治舎巧監督=長良川球場

■アマ野球の第1人者が母校、岐阜県にもたらした衝撃の高校野球革命

 鍛治舎監督は大野町出身。県岐阜商高時代はエースで主軸として1969年の選抜に出場した。選抜甲子園通算100号のメモリアルアーチを放ち、ベスト8に導いた。

 早大では東京六大学800号を放ち、甲子園、神宮でともにメモリアルアーチを放ったのは鍛治舎監督のみ。日米大学野球選手権で日本代表の4番も務めた。

 大学4年時は全球団から話があり、広島、近鉄(現オリックス)、太平洋(現西武)の3球団から1位指名を確約されたが、ドラフト会議前日に社会人野球の松下電器(現パナソニック)入社を発表。2年目には阪神が強行2位指名したが、拒否して残留。主軸として活躍し、監督も務めた。

 同社の役員で世界を相手に活躍した企業人としての経験は、チームづくりや人材育成など野球にも随所に生かされた。

 枚方ボーイズ監督として12年間で12度日本一になるなど中学野球でも非凡な指導力を発揮。高校野球は解説者を長年務め、秀岳館高(熊本)で3年5カ月監督を務め、3季連続甲子園ベスト4に導いた。

 2018年、アマチュア野球の第一人者であり続けた鍛治舎監督に創部100年に向けた母校県岐阜商の再建と、101年目からの次の100年に向けた礎づくりが託された。

就任会見で次の100年に向けた名門の礎づくりについて語る鍛治舎巧監督=2018年2月、県岐阜商高

 鍛治舎野球の根幹はパワーとスピードで圧倒するスタイル。打者はスイングスピード、投手は球速でともに140キロ超えの具体的な目標数値を見える化。公立高校のため、私立ほどの練習時間を割けないという時間の壁にも挑戦し、徹底的な効率化を追求した。

 ノックは二人の指導者が同時に打つことで同じ時間で倍の球が受けられる。打撃練習も5カ所に増やし、マシンや手投げ、各年の全国トップの左右投手に照準を合わせて設定。5カ所のゲージ以外にもローイングやサイクルマシンによる基礎体力アップ、スイングや打球スピードの測定、ロングティーなどローテーションで回るようにし、短時間集中で能力アップを高めた。

 鍛治舎監督の特徴的な練習に「爆走」がある。...