岐阜県が初めて選抜に2校同時出場した1962年(2度目は2007年の大垣日大と中京)。岐阜商(現県岐阜商)とともに出場し、名門春唯一のベスト8と躍進した岐阜の2年生遊撃手の藤見幸彦さん(78)=佐竹組会長、西濃建設業協会副理事長=に思い出を聞いた。
2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載中。そのインタビュー記事をWebで紹介します。電子版はこちらから。「媒体」で「ぎふ高校野球」を選択してください。
―どんなチームでしたか。
藤見 エースの森島靖雄さんは球が重く、低めに丁寧に投げる好投手。ただ、モーションが大きく、よく走られた。自分と三塁の御宿弘和の2人が下級生でレギュラー。中学時代は投手と三塁手だったが、めがねをしていたので溝口勝信監督から、三塁は強い打球がくるので危ないと言われ、遊撃手になった。
夏まで1年生は午後4時にグラウンドに出て、5時には下校して勉強しろという時代。まとまりのあるチームだったが、部員11人で東海大会準優勝した。
選抜のベンチ入り14人に合わせ、急きょ部員を勧誘して出場した。
―当時は岐阜商と岐阜2強時代。県も東海も決勝で対戦。
藤見 岐阜商は強く、春夏甲子園に出場した。対戦は、県営球場(現長良川球場)が見たこともないくらい大勢のお客さんであふれ、すごく盛り上がった。...