多才な趣味人として知られた二代目山口軍治は、画歴40年以上という洋画と、日本画を描くことを好んだ。会長になっていた2007年9月には、指導を受けた画家をはじめ県内の作家の作品を展示する私設美術館「HILL TOP・MM」を岐阜市の自宅敷地内に開設し、公開した。

 「凝り性」の軍治は、仕事も趣味も納得いくまでのめり込んだ。仕事でたまるストレスを解消しようと、1965年ごろから絵画同好会「シオン会」に入って油彩画を始め、日展会友の日本画家長谷川喜久の指導で日本画もたしなんだ。絵を始めて6年余の頃。「絵筆を持つのが楽しくて仕方がない」と食事の時にも食卓の上にイーゼルを置き、合間を見て描いた。熱中して気が付くと日が変わっていたり、早朝に起きてキャンバスとにらめっこしたりした。

 「そんなに無理をして仕事に差し支えはないか」と周囲が心配したが、「好きでやっていることなので少しも苦にならないし、むしろ気分転換になって頭もスッキリしてくるから不思議」と当時の本紙寄稿につづっている。

 絵画コレクションを展示する私設美術館をオープンした山口軍治(左から2人目)=2007年9月29日、岐阜市正木

 2004年からは岐阜市内の銀行の支店で1月に個展を開いた。毎年恒例となり、年によってボタン、ヤマユリといった花、雪化粧した伊吹山、上高地の風景画などが新春のロビーに花を添え、来店客らも楽しみにしていた。

 作品は展示するだけでなく、30年以上の永年勤続で定年退職する社員に記念品として贈っていた。「長い間ご苦労さまでした」との思いを込め、6号のバラの絵を描いた。描くのに時間がかかるため、社員から「墨絵のような時間がかからない物にしたらどうですか」と声を掛けられたが、「どんなに時間がかかっても筆が持てる限り油絵を贈りたい。心には、やはり心で描きたいから」とこだわった。今も本社役員室には、季節ごとに四季の花を描いた作品がさりげなく飾られている。

 新春恒例の個展を開いた山口軍治と作品=2007年1月4日、岐阜市神田町、大垣共立銀行岐阜支店

 自宅敷地に開設した私設美術館は、主に県内作家8人の美術コレクションを収蔵し、師事した長谷川喜久、洋画家で県美術館長を務めた古川秀昭ら県内の画家と自身の作品を展示した。オープン当日は関係者ら約60人が集った。軍治は「作家の思いが込められた作品ばかり。気軽に絵画に親しんでもらえるような空間にしたい」と思いを語った。週に3日間、時間を決めて開館し、財界人や絵画愛好者らが鑑賞していった。軍治が故人となった現在も予約をすれば、鑑賞の機会を提供している。

 軍治は絵のほかに、若い頃に覚え、「誰でも弾けるギター教則本」を書くほど入れ込んだギター、新入社員歓迎会でも披露していた手品、ビデオ撮影も趣味としていた。「どこに趣味に割く時間があったのだろうか」と周囲は不思議がるが、「手を抜くことができない」という軍治は時間をつくり、大いに楽しみ、極めた。(敬称略)