1882(明治15)年4月6日夕方、板垣退助は金華山の麓、中教院(現在の岐阜公園内)にいた。自由党総理(党首)として、立憲政治の必要性を説き、会場は拍手に包まれた。直前に多治見、岩村(現恵那市)、中津川、太田(現美濃加茂市)と、県内を横断。その来訪は、岐阜の自由民権運動にどんな刺激を与えたのか。

懇親会が開かれた脇本陣森家の建物はなくなったが、中津川市中山道歴史資料館展示施設に「上段の間」が再現されている=同市本町

 板垣一行の行動について、御嵩警察署詰御用掛岡本都嶼吉が詳細に記録した「探偵上申書」の内容が、岐阜県警察史に記載されている。そこには...