インタビューに応じる毎日新聞の久田宏さん

 尼崎JR脱線事故で先頭車両に乗っていた毎日新聞の久田宏さん(50)は頭を切るけがを負い、事故後は当事者の立場で記事を書き続けてきた。20年の月日がたち「自分の経験を伝えることで、少しでも社会に事故の記憶が残ってほしい」と話す。

 05年4月25日朝、大阪本社経済部の記者だった久田さんは通勤のため兵庫県川西市のJR川西池田駅から電車に乗り込んだ。脱線し、気がつくと周囲は暗くなっていた。衝撃で眼鏡が吹き飛び、様子がよく分からないまま鉄板をよじ登り、隙間をくぐり抜けて脱出した。

 その後テレビの取材を受けた映像が手元に残る。近隣住民からもらい肩にかけていた白いタオルは頭からの出血で染まっていた。近くの人の車で病院へ向かったが、治療の優先順位を決めるトリアージは「軽傷」の緑色。今も白い傷痕が残る。

 上司の「書いてみたら」の言葉をきっかけに、5月1日付朝刊に事故状況を再現した記事を執筆。以来、体験者の視点で伝えてきた。事故の教訓として「安全と利便性の折り合いを社会全体で考える必要がある」と訴える。