太平洋戦争終結直後の1945年8月、青森県から帰郷する朝鮮人労働者らを乗せた輸送船が京都府の舞鶴港で爆発し沈没、500人以上が死亡した「浮島丸事件」から24日で80年となった。資料が乏しく、乗船者数や犠牲者数、爆発原因について多くの謎が残る。現場となった同府舞鶴市で追悼活動を続ける市民は「平和のために伝え続ける」と誓う。
事件について日本政府は、爆沈の原因は米軍の機雷で死者は549人としている。一方、犠牲者はもっと多く、日本側の意図的な爆破が原因だったとの見方もある。
舞鶴市では中学教師らが60年代に追悼活動を始めた。78年に市民からの寄付で追悼碑を完成させ、95年公開の事件を扱った映画製作にも関わり、96年に「浮島丸殉難者を追悼する会」を立ち上げた。
2022年から会長を務める品田茂さん(66)が関わり始めたのは、市職員として働いていた約30年前、炊き出しなどで映画製作に協力したことがきっかけだ。犠牲者の親族や知人ではなくても、人々が平和を願い追悼に携わる姿に心を打たれ「バトンをつなぎたいと思った」という。