事を成し遂げた時「僕たちは僕たちの目標を自分たちの手でやり遂げました!!」選手たちが熱くそう語ってくれれば、指導者冥利に尽きるというものだ。

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~コロナ禍を丁寧に生きる~

『思わないことは叶わない!!結果はすべて思いの差!!』
この言葉は、長く選手に伝えてきたことだ。

 自分自身が人生をその思いで生きてきた、挫けそうな自分を、恒に支えてくれた言葉だ。

 コロナ禍を経て得た教訓は、『どうあがいても叶わない夢もある』ことだった。

 思い起こしたくもないコロナ全盛下、度重なる練習禁止措置に翻弄(ほんろう)されながら、先が見えない日々を懸命に生きる選手たち。彼らに掛ける言葉から、自然と厳しさ、激しさが削がれ、あるべき論が、影を潜めていった。

 そこには、選手が駆け昇る階段の1段1段の高さを低くしている自分が居た。努めて『夢に日付けを入れなさい!!』とは言わなくなった。思う程伸びてこない選手に苛立(いらだ)つこともなくなった。

 『長い階段には、踊り場もあるからな…』そして、再びゆっくりだが、成長の階段を昇り始めた選手を見逃すことなく、励ますようになった。コロナ禍が、1日1日を、心穏やかに、丁寧に生きることの大切さを教えてくれた。

『1年先のことを考えるなら種を播(ま)け
10年先のことを考えるなら木を植えよ。
100年先のことを考えるなら人を育てよ』

 私の好きな、前漢の頃のことわざだ。どんな時代も、その主人公は人だ。

 2018年4月、母校県立岐阜商業野球部監督となった私は、古い慣習を捨てて、ぶれない信念と覚悟で人を育て、新たな伝統を生みだそう。そう思い、変革を進めた。

 そうは言っても、彼らには、それぞれ見てきた風景があるから、容易には心に落とし込めなかった。一時は伝わるはずのない想いなのかと、心のエレガンスを失いそうにもなった。

 2年が経過した。彼らはコロナ禍という未曽有の危機には、命を守るのが最優先。部活動も文化祭も修学旅行も我慢という事態に晒された。大好きな野球を奪われ、私学は、県教委の指導の枠外という納得できない公立・私立格差にも無言で耐えた。

 それでも彼らは、自分たちも大人と同じくコロナに立ち向かう一人の戦士と心得、決して困難に屈しなかった。

 私にはようやく気付いたことがある。指導者が、選手を通じて生み出すものとは、目に見える形や所作を変えることではない。選手の心の内に柔らかで弾むような夢と希望を築き上げる、激変にも揺らがず困難を恐れない勇気を生み出す。それこそ新たに繋ぐべき伝統に他ならないということだ。

 彼らは、いつの間にか、こころのドアを拓いて歩き始めた。戸惑い傷つきながらも心の黙(しじま)に耳を澄ませば、彼らの確かな足音が力強く聞こえてくる。そう感じた時、私は込み上げる感動で、にわかに心が熱くなるのを止められなかった。

 ふと顧みれば、私は、彼らの酣(たけなわ)なるこころの灯火と、ともにあった。