「岐阜はひっくり返るような騒ぎだ」。板垣退助岐阜遭難事件翌日の1882(明治15)年4月7日、岐阜入りした愛知県病院の医師後藤新平は、街の物々しい空気に驚いた。事件の一報は瞬く間に全国を駆け巡り、報復を試みる血気盛んな自由党員が各地から岐阜へ集結。「まるで革命前夜のような熱気」(明治の事件史)を帯びた。

かつて今小町にあった「玉井屋旅館」。板垣退助ら自由党関係者が宿泊していた

 6日夕に事件が起こった後、傷を負った板垣は中教院の門前長屋で岐阜県病院の医師らの応急手当てを受け、...