
日本で紙幣(銀行券)を発行することができるのは、唯一「日本銀行」だけで、一方、貨幣の発行は日本国政府のみが担っています。
その日本銀行、ニホンギンコウではなく、正しくはニッポンギンコウ、その本店本館。
東京の中央区日本橋にあるのですが、建物を上空からみると、なんと「円」のカタチになっている!!・・・ 衛星画像をご確認いただけるとよいと思います。
これは「円」としか読めません。
さすが、「通貨の番人」、我が国の中央銀行たる日本銀行(以下「日銀」)ですね、と言いたいところですが、さにあらず、です。
この建物は、1896年(明治29年)竣工であり、奇しくもOKB大垣共立銀行創立の年なのですがそれは関係ないとして(笑)、当時の日本銀行券(紙幣)には「円」ではなく「圓」の表記となっていることからして、これはどうも違うようです。
通貨が「円」表記されるようになったのも戦後、とのこと。
なので、このカタチは偶然、ということになります。
設計者は「日本近代建築の父」といわれた辰野金吾という方で、東京駅や奈良ホテルなどを手掛けた人物とのこと。
いやいや、そんな凄い人なら「圓」がいずれ略字の「円」に表記替えされると予見していた、ということなら、これはロマンのある物語になりますが。
◆なぜ、1ドル=360円だったのか
明治初期、日本は通貨を「円(圓)」へ統一したものの、世界の信用が簡単に得られることはやはりなくて、明治後期、ちょうど日清戦争が終わって日銀本店が建てられた頃から金本位制のもと国際市場に参加できるようになり、という流れを経て、いよいよ戦後、1ドル=360円の固定相場制、「世界の中での『円』通貨の価値」へ話を進めていきたいと思います。
ここまで、戦後、戦後で来ていますが、第二次世界大戦後ということでよいでしょうか (笑)。
その戦後。日本では、猛烈なインフレに見舞われることになり、これは円の価値をはっきりさせねば、となって1949年(昭和24年)、この年は東京証券取引所が再開された年でもありますが、1ドル=360円に設定されることとなりました。(ドッジ・ライン)
なぜ、1ドル=360円での固定だったのかですが、これもやはり都市伝説のように語られる説があって、「GHQが『円(circle)が360度だからそうしよう』と決めた」、というものです。
実際のところ、大袈裟でなく一国の盛衰に大きく影響を及ぼす決定だけに、まずそんな適当なことなどはありえなくて、日米の生活必需品などの物価をもととして、為替の適正水準の根拠として現代も用いられる「購買力平価」を算出、また日本の戦後復興の柱とする輸出産業が競争力を保てるよう余裕をみた水準として360円に落ち着いた、というのがどうやら定説のようです。
◆為替取引が投機的ということではなく
確かに、この理由だけでは何やらモヤモヤ感が残る気もしますが、「ここらの水準で」というのが本当なのではないかと思います。
筆者も正直、株価と比べて為替の方が予測が難しい、と感じますし、世の中的にもよくそう言われますが、その理由としては、①外国為替取引は二国間の金利・景気・政治など相対的な綱引きをした結果であり、また②株価と違ってどちらかの通貨が長期的な成長トレンドを描いた動きになるものでもない点が挙げられるでしょうか。
ですので、市場参加者は「ツメを伸ばすことなく」、短期的な収益を求めがちになり、実際、そういう「足の速い」投機マネーも少なくありません。
1日あたりのドル円の市場規模は約200兆円と言われていて、株式市場の比ではないほどに巨大で、そのうち、個人投資家の長期分散投資を含む「実需資金」は1割にも満たないとされています。
確かに、株式の長期投資で一財産築いたという話は時々ありますが、為替取引だけで何十年も勝ち続けたという話はあまり聞いたことがないのです。
ここで、誤解のないように申し上げておきますが、これまで本コラムで説いてきた「世界分散」の対象先として海外株式や海外債券を選択するという行動が投機的、というわけでは決してありません。
あくまでも長期的に、海外の好業績の株式や好金利の債券を為替変動のリスクはありながら「盥(たらい)の中の水」のごとく合わせ持ちましょう、ということであり、ただし、為替そのもので収益を得ようとするのは、しかも短期的にとなると、ただただ根拠に乏しい、納得性が得にくいマネーゲームに陥ってしまう危険性が高いと考えるわけです。

◆ミセスワタナベとは
実際、「外国為替証拠金取引(FX)」は、少額の資金(証拠金)を担保として、レバレッジを効かせて証拠金の数十倍まで取引できるという金融商品なのですが、これでやられた!という話はよく耳にします。...









